漢字三音考
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『漢字三音考』 | |
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著者 | 本居宣長 |
発行日 | 天明5年(1785年) |
ジャンル | 語学書 |
国 | 日本の旗 日本 |
言語 | 日本語 |
形態 | 和装本 |
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『漢字三音考』(かんじさんおんこう)は、江戸時代中期に本居宣長が著した語学書。日本に伝来した漢字音について、漢音、呉音、唐音の3種を論説したもの[1] 。
概要
[編集 ]天明5年(1785年)刊。文雄の『三音正儒』や『和字大観抄』に負うところが多いが、賀茂真淵の『語意考』の影響も受けている[3] 。
本書は漢字音研究であるが、宣長の立脚点は常に日本であり[注 1] 、中国語の文字としての漢字を扱ったものではない[4] 。また、日本語の活用形における用法に関して、少なからず体系的な説明をしている[5] 。
内容
[編集 ]全20章のうち、最初の6章では「皇国の古言が純粋正雅の五十音から成るのに対し、中国や印度の音は鳥獣万物の音に似ている」ということを説き、第7章以降において、字音の伝来から始めて日本字音の特性を述べる[6] 。すなわち、宣長のいう漢字音とは、「中国の文字としての音そのもの」ではなく、「受容した日本人が日本語の音韻観念の範囲内で捉えて定着させた音」であり、その根底には音の「翻訳」ともいうべき問題がある[7] 。
影印・翻刻
[編集 ]- 『本居宣長全集』第5巻、筑摩書房、1970年9月。ISBN 4-480-74005-8
- 『漢字三音考・地名字音転用例』勉誠社〈勉誠社文庫67〉、1979年8月。
脚注
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注釈
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ 矢田勉 (2016), p. 53.
- ^ 本居宣長記念館 (2001), p. 15(竹田純太郎「漢字三音考」)
- ^ 竹田鐵仙 (1937), p. 41.
- ^ a b 本居宣長記念館 (2022), p. 72.
- ^ 湯浅茂雄 (1980), pp. 80–81.
- ^ 小松英雄 (1961), p. 124.
- ^ 尾崎知光 (2012), p. 147(初出:尾崎知光 1997)
参考文献
[編集 ]- 図書
- 尾崎知光『国語学史の探求』新典社〈新典社研究叢書〉、2012年9月。ISBN 9784787942319。
- 本居宣長記念館 編『本居宣長事典』東京堂出版、2001年12月。ISBN 4490105711。
- 鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館 編『本居宣長の不思議』(令和版)鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館、2022年6月。
- 論文
- 河合一樹「不朽の音:『漢字三音考』における徂徠派批判」『求真』第21号、求真会、2016年3月、31-43頁。
- 小松英雄 著「字音研究の歴史」、佐伯梅友・中田祝夫・林大 編『国語学』三省堂〈国語国文学研究史大成15〉、1961年2月、114-131頁。
- 満田新造「本居宣長の字音研究を評す」『國學院雜誌』第31巻第3号、1925年3月、25-33頁。
- 満田新造「漢字三音考評論」『國學院雜誌』第31巻第10号、1925年10月、17-26頁。
- 満田新造「本居宣長の字音研究に現れたる二の主義」『國學院雜誌』第32巻第11号、1926年11月、1-17頁。
- 竹田鐵仙「本居宣長翁の國語學と悉曇」『密教研究』第62号、密教研究会、1937年6月、37-52頁。
- 天沼寧「「漢字三音考」における「云ふ」の送りがなについて」『近代語研究』 4巻、武蔵野書院、1974年3月、417-428頁。
- 田山令史「『漢字三音考』:本居宣長の言語観」『仏教学部論集』第97号、佛教大学仏教学部、2013年3月、21-35頁。
- 湯浅茂雄「本居宣長の活用論」『上智大学国文学論集』第13号、1980年2月、55-88頁。
- 肥爪周二「近世音韻学における促音挿入形:『かたこと』『倭語連声集』『漢字三音考』」『近代語研究』 23巻、武蔵野書院、2022年9月、73-92頁。
- 尾崎知光「『漢字三音考』の本旨:ンノ韻の問題にふれて」『鈴屋学会報』第14号、鈴屋学会、1997年12月、1-8頁。
- 矢田勉「本居宣長」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、52-55頁。