源顕雅母(みなもとのあきまさのはは、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人。右大臣 源顕房の側室。藤原北家 良門流・藤原兼輔の後裔で、信濃守藤原伊綱の娘。兄弟に藤原伊季・藤原有忠・仁季(延暦寺)・慶幸がいた。
『金葉和歌集』(二度本・歌番号589)に和歌が1首入集する勅撰歌人。篤子内親王(堀河天皇 中宮)に仕えた女官だったらしい。顕房の妻となって源信雅・権大納言 源顕雅・東大寺 権少僧都 覚樹の母となった(但し、信雅の母については異説がある)。嘉承2年(1107年)9月21日、篤子内親王が出家したのと同じ日に出家した(『中右記』より)。
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