清光院 (品川区)
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清光院 | |
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所在地 | 東京都 品川区 南品川4-2-35 |
位置 | 北緯35度36分54.9秒 東経139度44分19.6秒 / 北緯35.615250度 東経139.738778度 / 35.615250; 139.738778 座標: 北緯35度36分54.9秒 東経139度44分19.6秒 / 北緯35.615250度 東経139.738778度 / 35.615250; 139.738778 |
宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
創建年 | 慶安3年(1650年) |
開山 | 清巌 |
開基 | 座光寺清左衛門 |
文化財 | 奥平家墓域(品川区指定文化財) |
法人番号 | 8010705000170 ウィキデータを編集 |
清光院 (品川区)の位置(東京都区部内) 清光院 (品川区) | |
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清光院(せいこういん)は、東京都 品川区にある臨済宗大徳寺派の寺院。なお同じ南品川4丁目で、わずか100メートル東に、名称が酷似する「清光寺」があるが、そちらは日蓮宗の寺院である。
概要
[編集 ]1650年(慶安3年)、旗本の座光寺清左衛門の開基である。元々は現在の品川消防署のあたりに位置していたが、寛文年間(1661年〜1673年)に現在地に移転し東海寺の塔頭となった[1] 。
墓所
[編集 ]東海寺塔頭時代は、奥平家(中津藩)・永井家(高槻藩)・織田家(天童藩)・細川家(宇土藩)の4藩主家が有力檀家となっており、墓域もこの4家が多くを占めていたが、織田・細川両家は整理・移葬され、現在は奥平・永井両家の墓域のみが残っている。特に奥平家の墓域は品川区の文化財に指定されている。能楽師の金春家と大蔵流の場所も残る。明治時代にに東海寺から分離独立した[1] 。末松謙澄の墓所が築かれている。
交通アクセス
[編集 ]- 新馬場駅より徒歩6分。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 平野栄次 著『品川区史跡散歩 (東京史跡ガイド9)』学生社、1993年
関連項目
[編集 ] 東京都の旗
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