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海野幸義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
海野幸義
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文10年(1541年)
別名 通称:小太郎
官位 左京大夫(受領名)
氏族 海野氏
父母 父:海野棟綱
兄弟 幸義真田頼昌室、貞幸(海野系図)
幸光(業吉)、望月信雅羽尾景幸
武田竜芳
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海野 幸義(うんの ゆきよし)は、戦国時代武将信濃国 小県郡国人

海野氏滋野氏の後裔で根津氏望月氏と共に「滋野三家」と呼ばれた氏族。幸義は海野棟綱の嫡男として誕生。

天文10年(1541年)5月13日、甲斐国武田信虎・信濃小県郡の村上義清・信濃諏訪郡諏訪頼重連合軍が滋野領に侵攻し、同月23日の海野平の戦いにおいて海野方は敗退(「神使御頭之日記」)、幸義は村上方との神川の戦いで戦死し、棟綱は上野国に敗退し関東管領上杉憲政を頼った。

甲陽軍鑑』では、永禄4年(1561年)に幸義の娘は武田晴信(信玄)の二男竜芳(海野信親)に嫁ぎ、竜芳は海野氏の名跡を継承したという。

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