海江田平治
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海江田 平治(かいえだ[1] / かえだ[2] へいじ、1852年7月26日(嘉永5年6月10日 [3] ) - 1913年(大正2年)7月22日 [2] )は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集 ]廻船問屋「かねひら」の当主海江田平右衛門の長男として薩摩 鹿児島藩領日置郡市来郷湊村東町(西市来村、市来町を経て現いちき串木野市)に生まれる[1] [3] 。家督を継いだ後、1895年(明治28年)西市来村の第3代村長に就任した[1] 。商家の子弟教育のための共立学舎の創設に尽力した[1] 。
1897年(明治30年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4] から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[2] 。
親族
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 。
- 竹内理三ほか 編纂『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。ISBN 4040024605。