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海江田平治

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海江田 平治(かいえだ[1] / かえだ[2] へいじ、1852年7月26日(嘉永5年6月10日 [3] ) - 1913年(大正2年)7月22日 [2] )は、明治時代の政治家貴族院多額納税者議員

経歴

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廻船問屋「かねひら」の当主海江田平右衛門の長男として薩摩 鹿児島藩日置郡市来郷湊村東町(西市来村市来町を経て現いちき串木野市)に生まれる[1] [3] 。家督を継いだ後、1895年(明治28年)西市来村の第3代村長に就任した[1] 。商家の子弟教育のための共立学舎の創設に尽力した[1]

1897年(明治30年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4] から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[2]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 竹内ほか 1994, 351頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 187頁.
  3. ^ a b 『大日本人物誌』か之部56-57頁。
  4. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。

参考文献

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