浦添安蔵
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浦添親方安蔵(うらそえうぇーかたあんぞう、? - 1759年 11月12日 [1] )は、琉球王国の官僚。唐名は毛文和(もう ぶんわ)を名乗った。別名に、古波津親方安蔵(こはつうぇーかたあんぞう)がある。
尚穆王は即位に際し、1752年 江戸に謝恩使を派遣した。この際浦添は副使に任命され、正使の今帰仁朝義王子と共に江戸に派遣され、翌年に帰沖した[2] 。
1755年から1759年にかけては、三司官を務めた[1] 。
脚注
[編集 ]- ^ a b 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本
- ^ Chūzan Seifu , appendix vol.4
丑日番 | |
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巳日番 | |
酉日番 | |
その他 |
公職 | ||
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先代 譜久山朝見 |
三司官 1755 - 1759 |
次代 池城安命 |