浅内村
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あさないむら 浅内村 | |
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廃止日 | 1955年 4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 能代市、檜山町、浅内村、鶴形村、常盤村 → 能代市 |
現在の自治体 | 能代市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 秋田県 |
郡 | 山本郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,269人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
能代市 山本郡浜口村、鵜川村、金岡村 |
浅内村役場 | |
所在地 | 秋田県山本郡浅内村 |
座標 | 北緯40度10分32秒 東経140度01分40秒 / 北緯40.17569度 東経140.02778度 / 40.17569; 140.02778 座標: 北緯40度10分32秒 東経140度01分40秒 / 北緯40.17569度 東経140.02778度 / 40.17569; 140.02778 |
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浅内村(あさないむら)は秋田県 山本郡にあった村。現在の能代市南西部の日本海に面した区域にあたる。
地理
[編集 ]歴史
[編集 ]- 1591年(天正19年)正月吉日、豊臣秀吉が秋田実季の知行地を安堵した朱印状の写しに「川とが村」と合わせて高370石余の「あさ内村」とあるのが初見である。(「秋田家文書」)
- 寛文4年まで檜山郡、それ以降は山本郡。江戸期の「正保国絵図」で本田当高184石、「享保黒印高帳」で村高584石余(本田91、本田並43、新田213石)、「寛政村附帳」で当高282石余、「秋田風土記」「天保郷帳」ともに347石余。家数は享保期に121軒、支郷は寒川が16、石丁6、福田13、成合4、出戸13、黒岡32軒であった。文化期は支郷を含めて150軒であった。福田は天和3年以前は桑振村と言った[1] 。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、浅内村、河戸川村の区域をもって発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 能代市 に編入。同日浅内村廃止。
交通
[編集 ]鉄道路線
[編集 ]村域を奥羽本線が通過したが、駅は所在しなかった。
道路
[編集 ]現在は旧村域に琴丘能代道路の能代南インターチェンジが所在するが、当時は未開通。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 5 秋田県』 角川書店、1980年3月8日。ISBN 4-04-001050-7
参考文献
[編集 ]- 角川日本地名大辞典 5 秋田県
関連項目
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