コンテンツにスキップ
Wikipedia

津川イネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります 基準に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。
出典検索?"津川イネ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2023年9月)

津川 イネ(つがわ イネ、1875年〈明治8年〉4月3日 - 1986年〈昭和61年〉5月21日)は、長寿日本一であった徳島県女性

来歴

[編集 ]

1875年、徳島県 麻植郡 木屋平村の農林業を営む津川国三郎・マス夫婦の長女として生まれる[1]

9歳の時、村に小学校が設立され入学したが、入学時の生徒はイネただひとりだけだったという[2]

永らく独身を貫いていたが、39歳の時に15歳年下の男性(婿養子)と結婚。当時としてはかなりの晩婚であった[3]

75歳頃まで、木綿の入手が難しかったこともあり、現在徳島県 那賀郡 那賀町木頭でしか織られていない、太布織っていたという[4]

100歳頃に孫から止められるまで、自宅より300m山上にある畑で農作業をしていたという[3]

111歳の時、報道陣から長生きの秘訣を聞かれ「みんなが大事にしてくれるから長生きできた。元気なのはよく働き、食べ物の好き嫌いがないから。」と答えている[5]

存命中は泉重千代の長寿記録が認定されており、1986年2月21日に泉が死去したことにより長寿日本一となったとされていたが、泉の長寿記録は2012年に取り消されており、実際には大熊モムが1984年2月10日に110歳と29日で死去した時点で108歳の津川が長寿日本一となっていた[6] 。1986年5月21日に111歳と48日で死去。

脚注

[編集 ]
  1. ^ 労働の科学 = Digest of science of labour 41(7)」国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ よぼういがく 21(3)」国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b よぼういがく 21(3)」国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 百万塔 (62)」国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 金融事情研究会資料 no.51-100」国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ "Deaths In The 1980s (in Chronological Order) (as of May 1, 2014)" (英語). ジェロントロジー・リサーチ・グループ. 2015年1月3日閲覧。
1970年代以前没
1980年代没
1990年代没
2000年代没
2010年代没
2020年代没
現在の日本最高齢者

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /