洞庭湖 (千葉県)
洞庭湖(どうていこ)は、千葉県 長生郡 一宮町にある人造湖。中国の洞庭湖にちなんで名付けられた。
概要
[編集 ]面積約6.8ヘクタールの農業用貯水池。土堤によって東西に分けられており、西側(上流側)を中堰、東側(下流側)を下堰という[1] 。また、西側(上流側)に隣接して二又堰(池)(2.2ヘクタール)[1] [2] 、東側(下流側)に隣接して洞堰(ぼらぜき)[3] があるため、東西4つの溜池が並ぶ形になっている。なお、二又堰・洞庭湖が大字一宮(旧一宮藩領)に属するのに対し、洞堰は大字東浪見(旧東浪見村)に属する。
西側にある上流の大欠堰(池)とは松子川でつながっている。「市兵衛堀」と呼ばれる灌漑用水路を通じて堰の北側に水を流していたが、1966年(昭和41年)に洞堰からの取水口が完成し、東側(旧東浪見村方面)に水を流すようになった[4] [5] 。
千葉県立九十九里 自然公園に属する[6] 。1983年(昭和58年)、「房総の魅力500選」に選ばれた[7] 。
最寄駅は東浪見駅。
名称
[編集 ]一宮藩主加納久徴が、中国の洞庭湖にちなんで名づけたとされる[8] 。字(あざ)名の「洞」(ぼら、山がぐっと入り込んで外界から全然見えないところ、の意)と、中国第一の湖水である洞庭湖に匹敵する大きさ、という「ホラ」をかけたものともいわれる[9] 。
歴史
[編集 ]江戸時代に一宮藩主が家臣岩堀市兵衛に命じて、灌漑貯水池として着工させ、その後、一宮の住人、中村吉兵衛が完成させたと伝えられる[10] [11] 。享保11年(1726年)に加納久通が長柄郡一宮に領地を与えられた際に「洞(ぼら)の堰」を築いたといわれている[2] [12] が、正確な着工時期については諸説ある。
明治元年(1868年)の「領主加納家引継」には、「加納遠江守久堅寛延元年十月十三日養父久通ノ家嗣後(略)平常志ヲ民事ニ尽(略)水利ヲ起シ洞庭ノ潴ヲ引テ耕田ニ注グ、家臣岩堀市兵衛嘗之当今之洞庭ノ道路ニ通ス市兵衛堀ト云也」[13] [5] とあり、加納久堅の代(1748年 - 1786年)に着工したとされている。一方、『一宮町史』(1964年)は、着工年代について、寛政年間(1789年 - 1801年)[14] 、文化・文政年間(1804年 - 1830年)[15] 、天保年間(1830年 - 1844年)[16] の3説を載せている。
また、洞庭湖の着工とともに、洞庭湖から北側に流出する、「市兵衛堀」と呼ばれる 2,210 m (うちトンネル部分19か所、計 1,215 m)の灌漑用水路が作られた[17] [5] 。
その後、天保年間、加納久徴のときに堰が拡張され、代々名主をつとめた中村吉兵衛が完成させたのが、現在の洞庭湖である[12] 。久徴は堰の周囲に桜を植えて整備し、天保15年(1844年)3月15日付で洞庭湖記念碑を建てた。この記念碑は1981年6月17日付で一宮町指定史跡に指定されている[18] 。文面は多賀城碑にならったもので、次の通りである。
ただし、久徴が植樹した桜は廃藩置県後に伐採されており[19] 、現在の桜はその後に再植樹されたものである。
脚注
[編集 ]- ^ a b 一宮町史編さん委員会 1964, pp. 256, 408.
- ^ a b 御園 1981, p. 107.
- ^ 一宮町社会科副読本編集委員会 2011, pp. 66, 71.
- ^ 上総一宮郷土史研究会記念誌編集委員会 2004, p. 92.
- ^ a b c 長谷川英美. "「市兵衛堀」について". 一宮町ホームページ. 2016年7月10日閲覧。
- ^ "千葉県の自然公園一覧表". 千葉県ホームページ. 2016年7月10日閲覧。
- ^ "房総の魅力500選 〔自然〕". 千葉県ホームページ. 2016年7月10日閲覧。
- ^ a b 御園 1981, p. 108.
- ^ 小高昇「地名について」一宮町史編さん委員会 1964, p. 648。
- ^ 長生郡教育会 1913, pp. 218–219.
- ^ 一宮町史編さん委員会 1964, pp. 119–120, 408.
- ^ a b 上総一宮郷土史研究会記念誌編集委員会 2004, p. 90.
- ^ 上総一宮郷土史研究会記念誌編集委員会 2004, p. 93.
- ^ 一宮町史編さん委員会 1964, p. 213.
- ^ 一宮町史編さん委員会 1964, pp. 119–120.
- ^ a b 一宮町史編さん委員会 1964, p. 408.
- ^ 上総一宮郷土史研究会記念誌編集委員会 2004, pp. 92–93.
- ^ "洞庭湖記念碑【一宮町指定史跡】". 一宮町ホームページ. 2016年7月10日閲覧。
- ^ 林天然 1924, p. 26.
参考文献
[編集 ]- 一宮町史編さん委員会 編『一宮町史』一宮町役場、1964年3月。
- 一宮町社会科副読本編集委員会 編『わたしたちの一宮』(4版)一宮町教育委員会、2011年4月1日。
- 上総一宮郷土史研究会記念誌編集委員会 編『ふるさと今昔』上総一宮郷土史研究会、2004年10月。
- 長生郡教育会 編『長生郡郷土誌』長生郡教育会、1913年5月。https://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/dfp.view_data.form?data=%2F%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96%2F%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%8C%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%83%A1%E8%AA%8C%2F0000000010-CHB600283 。
- 林天然『上総一宮名所誌』林壽祐、1924年7月。
- 御園武雄 編『ふるさと』上総一宮郷土史研究会、1981年12月。
外部リンク
[編集 ]座標: 北緯35度21分15秒 東経140度21分52.6秒 / 北緯35.35417度 東経140.364611度 / 35.35417; 140.364611
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