法師浜桜白
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法師浜 桜白(ほうしはま おうはく、1900年(明治33年)- 1979年(昭和54年))は、日本の俳人 [1] 。本名は直吉[1] 。初号は静秋[1] 。
経歴
[編集 ]八戸の朔日町の生まれ[1] 。前田桜曙から俳諧を学ぶ[1] 。階上小学校の教員を経て1924年(大正13年)にはちのへ新聞社に入社する。1927年(昭和2年)に東京日日新聞(現在の毎日新聞社)に移り、八戸通信部を振り出しに函館に転勤した[1] 。後に俳諧師としての活動を始め、健常者のみならず視覚障害者への俳誌も制作した[1] 。
その後新潟に移住し上京したが[1] 、1960年(昭和35年)に帰郷した[1] 。その後岩手放送(現・IBC岩手放送)八戸支社長を経てデーリー東北新聞社編集局顧問となる[1] 。1962年(昭和37年)には八戸市文化協会会長に、1967年(昭和42年)には八戸俳諧倶楽部会長となった[1] 。また俳諧のみならず『八戸小唄』の作詞者としても知られている[1] 。
刊行した俳誌
[編集 ]- 『銀河』
- 『白鳥』
- 『ともしび』- 点字雑誌。