河野通訓
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時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 権右衛門 |
官位 | 対馬守 |
幕府 | 江戸幕府 使番、西丸目付、日光奉行、山田奉行、京都町奉行、普請奉行、作事奉行、田安家 家老 |
主君 | 徳川 家慶、家定、家茂 |
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河野 通訓(こうの みちのり)は、江戸時代後期の旗本。京都町奉行、田安家 家老などを歴任した。
略歴
[編集 ]西丸目付、日光奉行を務めた後、嘉永元年(1848年)山田奉行に転任し[1] 、さらに嘉永3年(1850年)には京都町奉行となる[2] 。嘉永6年(1853年)老中 阿部正弘が黒船来航への対応について広く意見を求めた際、諸侯諸士に並んで意見書を提出しており[3] 、直後に普請奉行に転任[4] 。安政2年(1855年)には安政江戸地震が発生したため、普請奉行として江戸城内外の修繕を担当している[5] 。その後作事奉行を務めた後、安政5年(1858年)から文久2年(1862年)まで田安家家老(当主:徳川慶頼)を務める[6] [7] 。安政6年(1859年)安政の大獄に際しては、一橋家当主徳川慶喜への隠居慎の処分を伝達する役目を、一橋家家老竹田斯綏とともに務めた[8] 。
出典
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 維新史料編纂會 1983a, p. 150.
- ^ 維新史料編纂會 1983a, p. 277.
- ^ 維新史料編纂會 1983a, p. 489.
- ^ 維新史料編纂會 1983a, p. 502.
- ^ 維新史料編纂會 1983b, p. 149.
- ^ 維新史料編纂會 1983c, p. 13.
- ^ 維新史料編纂會 1983d, p. 235.
- ^ 東京大學史料編纂所 2019, p. 106.
参考文献
[編集 ]- 渋沢栄一『徳川慶喜公伝』 1巻、平凡社〈東洋文庫〉、1967年。ISBN 4-582-80088-2。
- 維新史料編纂會『維新史料綱要』 1巻、東京大学出版会、1983a。
- 維新史料編纂會『維新史料綱要』 2巻、東京大学出版会、1983b。
- 維新史料編纂會『維新史料綱要』 3巻、東京大学出版会、1983c。
- 維新史料編纂會『維新史料綱要』 4巻、東京大学出版会、1983d。
- 東京大學史料編纂所『大日本維新史料 類纂之部 井伊家史料』 30巻、東京大学史料編纂所、2019年。
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