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水間鉄道水間線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(水間線から転送)
水間線
水間線内を走る1000形電車 (清児駅 - 名越駅間)
水間線内を走る1000形電車
(清児駅 - 名越駅間)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 大阪府 貝塚市
起点 貝塚駅
終点 水間観音駅
駅数 10駅[1]
開業 1925年(大正14年)12月24日
最終延伸 1926年(大正15年)1月30日
所有者 水間鉄道
運営者 水間鉄道
車両基地 水間車庫
使用車両 1000形
路線諸元
路線距離 5.5 km [1]
軌間 1,067 mm(狭軌)
線路数 単線 [1]
電化方式 直流1,500 V
架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
最高速度 60 km/h [2]
路線図
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水間線(みずません)は、大阪府 貝塚市貝塚駅から水間観音駅までを結ぶ、水間鉄道(水鉄)が運営する鉄道路線 [1]

概要

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停車場・施設・接続路線
南海: 南海本線
0.0 貝塚駅
0.2 海塚駅 -1972
BHF
0.8 貝塚市役所前駅
BHF
1.2 近義の里駅
JR西:R 阪和線
BHF
2.0 石才駅
BHF
2.8 清児駅
犬鳴粉河方面(未成線)
BHF
3.2 名越駅
BHF
4.3 森駅
BHF
4.7 三ツ松駅
BHF
5.1 三ヶ山口駅
水間車庫
5.5 水間観音駅

水間寺(通称「水間観音」)への参詣鉄道として建設された[1] 貝塚駅は、大阪市などに通じる南海本線との乗換駅になっている[3] ほか、水間線の沿線開発も進み、貝塚市内陸部にとって通勤・通学路線となっている。

終点である水間観音駅の駅舎は1926年(大正15年)の全通に伴う開業時から使われており、1999年(平成11年)に国の登録有形文化財となった[4] [1]

2007年(平成19年)にはPiTaPa導入を視野にスルッとKANSAI協議会に加盟した。そのPiTaPa導入は2009年(平成21年)6月1日のダイヤ改正から行われた[5] 。水間線は2013年(平成25年)3月23日から開始された交通系ICカード全国相互利用の対象になっている。

路線データ

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運行形態

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貝塚駅 - 水間観音駅間で1時間あたり基本的に2本(30分間隔)、朝と平日夕方は3本(20分間隔)運転されている。途中駅で折り返す列車はない。所要時間は約15分[1] 列車交換は途中駅で唯一の交換可能駅である名越駅で行われる。

PiTaPa導入と同時に朝夕ラッシュ時を含む全列車がワンマン運転となった[5] 。かつて朝夕のラッシュ時以外の時間帯の列車だけをワンマン化したこともあったが、その際、主な利用客である高齢者層がワンマン運転のシステムになじめなかったため、PiTaPaが導入されるまで早朝深夜以外の時間帯は再び車掌を乗務させていた。

2020年(令和2年)11月30日のダイヤ改正までは1時間あたり基本的に3本運転されていた。

臨時列車

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年末年始

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終点の水間観音駅が水間寺の最寄り駅であることから、初詣客輸送のため大晦日(12月31日)深夜から元日(1月1日)午前2時台頃にかけて終電延長運転を実施している[6] 。2022年度(令和4年度)の場合は、大晦日から元日午前2時半頃にかけて、1時間間隔で計3.5往復運行された[7]

2019年度(令和元年度)までは終夜運転を行っていた。この後に新型コロナウイルス感染症が拡大し、2020年度大晦日の終夜運転は国土交通省の要請により中止した[8]

また、かつては正月三が日(1月1日 - 3日)を中心に昼間も特別ダイヤでの運行を行っていた。その変遷は以下の通り。

  • 2020年(令和2年)正月まで:通常のダイヤ(当時は終日1時間に約3本運転)で運行。
  • 2021年(令和3年)正月:通常の土休日ダイヤで運行。
  • 2022年正月:1月1日 - 3日に特別ダイヤ(土休日ダイヤを基本に、7・8時台を毎時3本から2本に減便、10-15時台を毎時2本から3本に増便)での運行を実施。また1月4日 - 15日にも3往復の増発を実施[9]
  • 2023年(令和5年)正月:1月1日 - 3日に前年と同様の特別ダイヤでの運行を実施[7]
  • 2024年(令和6年)正月以降:通常の土休日ダイヤで運行。

その他

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大規模なイベントの開催時にも臨時列車の運行や通常列車の時刻変更が行われる[10] 。貝塚駅 - 水間観音駅ノンストップの「特急」が運行されることもあり、「特急」に乗車するには特に条件や別途料金の必要なく運賃のみで乗車できる場合と、グッズ等の購入が必要な場合がある[11]

車両

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車両は南海電気鉄道の中古車両を使用していたが、1990年(平成2年)に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、全車両を元東急7000系電車の7000系に置き換えた。2006年(平成18年)から7000系は順次、更新改造され1000形に改番された。1000形は2両「編成4本の計8両を所有している。

旧在籍車

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(出典:[12] [13] )

  • モハ1形(1・2):開業に先立って1925年(大正14年)6月に購入した車両。購入前は南海鉄道2代22・2代23号で、もとは高野登山鉄道11・12号。15m級で荷物室を備えており、定員74名。2は1946年(昭和21年)に水間車庫の火災により焼失。1は1948年(昭和23年)に車体を新造し2代目1となった。
  • モハ3形(3・4): 1927年(昭和2年)1月汽車会社東京工場で新製された木製ボギー車。11m級で定員74人。第二次世界大戦後に4は踏切事故を起こして5に改番されたが、1948年(昭和23年)の水間車庫火災により焼失し、その台枠を利用してモハ55形(初代55)を製作する。3は1962年(昭和37年)4月に廃車されたのち本社前で会議室として使用されていたが、1977年(昭和52年)の本社移転時に解体された。
  • モハ15形(15・16):1929年(昭和4年)7月に加藤車両で新製された半鋼製2軸単車。9m級で定員50人。1939年(昭和14年)に旅館「一龍」の建設資金に充てるため日満工業に売却された。
  • モハ105形(105・106):1939年(昭和14年)12月木南車両で新製された半鋼製ボギー車。11m級で定員70人。105は1946年(昭和21年)の水間車庫火災により焼失し、1950年頃まで車体が保管されていたが結局解体された。106は1952年(昭和27年)に荒尾市営電気鉄道へ売却され、同101号となった。
  • 2代目モハ1形(2代目1):1949年(昭和24年)4月、旧2の台枠と初代1の機器を利用して広瀬車両で新製された半鋼製車両。車体は元と同じく15m級だが、定員90名。1969年(昭和44年)10月廃車。
  • モハ55形(初代55):1949年(昭和24年)4月、5の台枠と電動機・制御器を利用して広瀬車両で新製された半鋼製車両。車体長の級・定員ともに旧5と同一。輸送力増強のため1952年(昭和27年)末に尾道鉄道のデキニ25と入れ替わり、尾道鉄道25号となる。
  • モハ111形(111):1949年(昭和24年)、廃車予定だった南海加太線101号の車体を購入したうえで機器を補い電動車とした。15m級で定員90人。1956年(昭和31年)5月に廃車となり、機器・台車は11号に使用され、車体は二色幼稚園に移送された。
  • モハ55形(2代目55):1953年(昭和28年)にモハ55形(初代55)と交換する形で尾道鉄道のデキニ25が入線。もとは宇部鉄道のデハニ101形(101)半鋼製ボギー車(1930年日本車輌製)である。荷物室は存置されていた。15m級で定員90人。1970年(昭和45年)10月廃車。
  • モハ55形(56):1953年(昭和28年)に尾道鉄道のデハニ301が入線。2代目55と異なり荷物室は撤去された。もとは宇部鉄道デハニ301形(301)半鋼製ボギー車(1931年日本車輌製)である。15m級で定員100人。1969年(昭和44年)廃車。
  • モハ11形(11):1956年(昭和31年)5月、111の車体を、元阪神急行電鉄67号の車体で置き換えた木造車。1967年(昭和42年)1月廃車。
  • モハ250形(251・252):1958年及び1962年ナニワ工機で新製された全鋼製ボギー車。15m級で定員110人。1972年(昭和47年)廃車、モハ252のみ水間車庫で保管されたが現在は存在しない。
  • モハ360形(361)・クハ380形(381):1966年(昭和41年)に南海から借入れて、のちに譲り受けたモハ1037・クハ1825。水鉄初の17m級車であり、またクハ381は水鉄初の制御車であった。1971年10月廃車。
  • モハ360形(362)・クハ380形(363):1966年(昭和41年)に鉄道線を廃止した淡路交通から譲り受けたモハ1010・1011。1971年(昭和46年)12月廃車。
  • モハ360形(364・365):1968年(昭和43年)10月に南海から借入れて、同年12月譲り受けたモハ561形(2代目562・569)。もとは高野山電気鉄道デ102・デニ501(1928年日本車輌製)。1972年(昭和47年)11月廃車。
  • モハ1251形(1258・1275)・サハ1891形(1892):もと南海1251形で1970年(昭和45年)12月に譲り受けた。15m級で定員100人。水鉄初の3両編成を組成した。1201形導入に伴い1972年(昭和47年)廃車。
  • モハ501形・クハ551形・サハ581形:もと南海1201形で、1971年(昭和46年)から翌1972年(昭和47年)かけて12両(電動車10両、付随車2両)を譲り受け、既存の車両を全て置き換えた。18m級の大型車両で、1974年(昭和49年)に塗装を変更するとともに車番を500番台に変更、1984年(昭和59年)には電動車3台を制御車・片運転室化し、塗装を再変更した。7000系導入に伴い1990年(平成2年)8月1日を最後に運用を終了し廃車、野上電気鉄道へ5両が再譲渡されたものの重量超過のため入籍せず解体された。現在はクハ553が水間検車区構内に留置されている。
  • ワブ1形(1):開業時に南海から譲り受けた木造有蓋車。もとは1899年(明治32年)12月製造の南海ワ56である。
  • フト1形(1・2):開業時に南海から譲り受けた無蓋車。もとは1906年(明治39年)9月製造の南海ワ56である。フト2は1948年(昭和23年)の水間車庫火災により焼失、フト1は1972年(昭和47年)の貨物営業廃止後に解体された。

利用状況

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地域の住民や学生の足であるだけでなく、途中の石才駅近辺には自動車教習所があり、そこに通う人々が多く利用する。さらに正月には水間観音への初詣参拝でにぎわう。

1960 - 1970年代には年間400万人前後が利用したが、沿線の少子高齢化などで2010年度(平成22年度)には200万人を割り込み、2020年(令和2年)以降は新型コロナウイルス感染症の流行による影響も受けた[1] 。このため、水間観音駅でロケーション撮影した松平健出演のPRドラマ『アワー・ホーム』の制作と配信、車両基地内にある車庫線約100メートルの有料運転体験などにより知名度や利用者数の拡大と増収を図っている[1]

輸送実績

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水間線の輸送実績を下表に記す。輸送量は減少している。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別輸送実績
年 度 輸送実績(乗車人員):万人 輸送密度
人/日
特 記 事 項
通 勤
定 期
通 学
定 期
定期外 合 計
1970年(昭和45年)     144.8 385.9    
1975年(昭和50年) 158.5 106.0 151.5 416.0 8,410  
1976年(昭和51年) 156.8 107.6 153.1 417.5 8,164  
1977年(昭和52年) 158.0 105.2 152.2 415.6 8,150  
1978年(昭和53年) 153.7 111.6 151.8 417.2 8,050  
1979年(昭和54年) 151.8 113.4 151.2 416.5 8,016  
1980年(昭和55年) 151.6 110.4 154.4 416.5 8,010  
1981年(昭和56年) 154.7 105.5 153.5 413.8 7,961  
1982年(昭和57年) 151.2 100.6 149.8 401.7 7,749  
1983年(昭和58年) 145.8 92.2 142.5 380.5 7,407  
1984年(昭和59年) 142.5 91.2 135.2 368.9 7,174  
1985年(昭和60年) 139.6 92.4 133.7 365.7 7,076  
1986年(昭和61年) 135.4 85.3 127.7 348.4 6,777  
1987年(昭和62年) 130.7 76.3 121.4 328.4 6,416  
1988年(昭和63年) 123.4 68.3 112.7 304.4 5,997  
1989年(平成元年) 120.2 60.4 110.7 291.3 5,775  
1990年(平成2年) 121.4 63.4 110.8 295.6 5,748 冷房電車導入
1991年(平成3年) 124.3 57.3 113.7 295.3 5,783  
1992年(平成4年) 130.5 59.1 115.9 305.5 5,903  
1993年(平成5年) 133.9 59.0 118.6 311.5 5,948  
1994年(平成6年) 137.7 60.8 113.1 311.6 5,912  
1995年(平成7年) 137.5 60.3 110.2 308.0 5,798  
1996年(平成8年) 129.9 53.1 102.7 285.7 5,385  
1997年(平成9年) 124.6 54.9 97.0 276.5 5,187  
1998年(平成10年) 116.6 57.7 92.7 267.0 5,026  
1999年(平成11年) 109.0 60.0 92.4 261.4 4,941  
2000年(平成12年) 106.7 55.4 88.6 250.7 4,748  
2001年(平成13年) 102.9 56.3 83.1 242.3 4,570  
2002年(平成14年) 94.1 55.0 78.5 227.6 4,275  
2003年(平成15年) 88.5 55.0 76.8 220.3 4,079  
2004年(平成16年) 87.3 54.8 73.0 215.1 3,964  
2005年(平成17年) 89.1 52.2 72.9 214.2 3,947  
2006年(平成18年) 90.0 55.2 73.7 218.9 4,043  
2007年(平成19年)            
2008年(平成20年)            
2009年(平成21年)            
2010年(平成22年)            
2011年(平成23年)            
2012年(平成24年) 76.4 39.5 72.6 188.5 3,111  
2013年(平成25年) 77.0 38.1 72.9 188.0 3,514  
2014年(平成26年) 80.7 35.4 73.9 190.0 3,514 輸送密度は誤記(旅客人キロを365日5.5kmで除すと3,601)
2015年(平成27年)         3,601 輸送密度の計算の基礎となる各数値が前年と全く同じになっており誤記と思われる。正しい数値は不明
2016年(平成28年) 78.2 33.2 74.5 185.9 3,545  
2017年(平成29年) 77.0 30.9 75.9 183.8 3,518  
2018年(平成30年) 77.8 30.2 75.6 183.6 3,521  
2019年(令和元年) 79.6 31.9 72.0 183.5 3,478  
2020年(令和2年) 73.5 25.7 54.0 153.2 2,797  

出典:『鉄道統計年報』(国土交通省鉄道局監修)

営業成績

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水間線の営業成績を下表に記す。旅客運賃収入が増加した時期もあったが最近では減少している。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別営業成績
年 度 旅客運賃収入:千円 運輸雑収
千円
営業収益
千円
営業経費
千円
営業損益
千円
営業
係数
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合 計
1975年(昭和50年) 137,651 ←←←← 159,117     883 299,303      
1976年(昭和51年)   ←←←←                
1977年(昭和52年)   ←←←←                
1978年(昭和53年)   ←←←←                
1979年(昭和54年)   ←←←←                
1980年(昭和55年)   ←←←←                
1981年(昭和56年)   ←←←←                
1982年(昭和57年)   ←←←←                
1983年(昭和58年)   ←←←←                
1984年(昭和59年)   ←←←←                
1985年(昭和60年)   ←←←←                
1986年(昭和61年) 207,220 ←←←← 225,247 0 432,467 4,093 436,560      
1987年(昭和62年) 146,087 49,690 215,436 0 411,213 6,856 418,069      
1988年(昭和63年) 141,144 45,509 204,976 0 391,629 6,652 398,271      
1989年(平成元年) 156,394 46,714 222,252 0 425,360 3,140 428,500      
1990年(平成2年) 153,560 47,527 213,988 0 415,075 5,563 420,638      
1991年(平成3年) 157,515 42,929 219,179 0 419,623 9,663 429,286      
1992年(平成4年) 164,215 44,287 220,637 0 429,139 10,686 439,825      
1993年(平成5年) 168,028 44,374 224,334 0 436,736 11,348 448,084      
1994年(平成6年) 171,546 45,591 214,896 0 432,033 11,071 443,104      
1995年(平成7年) 170,604 44,879 212,139 0 427,622 11,945 439,567      
1996年(平成8年) 173,655 42,796 214,570 0 431,021 10,665 441,686      
1997年(平成9年) 166,658 43,769 203,001 0 413,428 10,051 423,479      
1998年(平成10年) 156,962 45,964 194,225 0 397,151 8,864 406,015      
1999年(平成11年) 147,755 48,034 193,915 0 389,704 9,052 398,756      
2000年(平成12年) 144,493 44,179 186,028 0 374,700 8,491 383,191      
2001年(平成13年) 138,936 44,128 174,374 0 357,438 7,300 364,738      
2002年(平成14年) 126,910 42,657 163,972 0 333,539 10,813 344,352      
2003年(平成15年) 118,955 40,699 160,559 0 320,213 14,314 334,527      
2004年(平成16年) 116,884 38,984 152,589 0 308,457 14,712 323,169      
2005年(平成17年) 119,222 36,516 153,875 0 309,613 18,641 328,254      
2006年(平成18年)     155,338 0 314,626 15,871 331,698 253,818 77,880 76.5

出典:『鉄道統計年報』(国土交通省鉄道局監修)

第二次世界大戦前の輸送収支実績

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年度別実績
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1925 144,812 237 18,765 16,925 1,840
1926 474,670 2,095 54,056 47,313 6,743 雑損3,516 205 17,996
1927 578,593 4,663 66,501 55,578 10,923 雑損152 13,237
1928 569,131 6,949 65,151 53,717 11,434 雑損438 132 15,927
1929 601,202 5,234 66,591 52,808 13,783 雑損100 90 16,545
1930 525,966 3,415 55,233 49,488 5,745 44 22,955
1931 466,579 3,232 48,942 45,696 3,246 雑損483 18,990
1932 444,722 3,813 45,797 42,949 2,848 償却金700 5 21,532
1933 437,789 4,698 20,422 17,353 3,069 雑損1,248 21,753
1934 507,989 3,797 54,100 50,616 3,484 雑損償却金1,547 13 20,336
1935 527,652 4,103 55,803 47,416 8,387 雑損償却金17,549 12,985
1936 544,665 4,685 57,557 42,220 15,337 自動車業1,216
償却金6,140
1937 577,471 4,166 58,835 46,115 12,720 自動車業3,007
雑損償却金9,530
491 1,936
1939 969,788 5,585
1941 1,444,885 9,019
1943 2,170,306 11,520
1945 2,768,160 6,108

出典:『鉄道省鉄道統計資料』『鉄道統計資料』『鉄道統計』『国有鉄道陸運統計』各年度版

歴史

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水間鉄道新線計画

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清児駅から分岐して大阪府泉佐野市南部の犬鳴山を経て和歌山県 那賀郡 粉河町(現在の紀の川市)まで延長する計画があった。1927年(昭和2年)、当時は水間駅の少し手前から粉河まで、犬鳴電気鉄道と粉河電気鉄道によって申請されたが粉河電気鉄道は却下[21] 。犬鳴電気鉄道は1928年1月21日に免許[22] されたが期限内に工事施行の認可申請がされず1930年10月24日に免許が失効した[23] 。その後、水間鉄道が1950年(昭和25年)12月23日に水間 - 粉河間の鉄道敷設免許を取得。資金調達のため1953年に紀泉鉄道という別会社を設立し、同年に起点を清児駅に変更して1955年(昭和30年)6月16日に着工したものの、紀泉熊取駅の少し手前まで工事が進んだところで、資金不足で工事は中止された。1959年 3月9日に水間鉄道は紀泉鉄道を吸収合併し、維持していた免許も1967年(昭和42年)1月18日に山越えとなる犬鳴 - 粉河間が当面開通の見込みが無いとの理由で当時の運輸省より免許返納を勧められたため起業を廃止。残る清児 - 犬鳴間も何度か第三セクター方式で再起が試みられたが、資金調達の目処がつかなかった。1996年(平成8年)にこの区間の建設も断念し、こちらも起業廃止届を申請し、同年9月11日付で認可され計画は立ち消えとなった。

2006年(平成18年)時点で、清児駅付近の住宅地内に残っていた用地は宅地化され、清児から熊取町七山付近までに痕跡が一部残るのみで、熊取ニュータウンの中央部に都市計画道路と一緒に確保されていた用地は道路用地を除きほとんど宅地化された。熊取ニュータウン内にある、敷地への立入りを禁ずる看板には道路管理者のほか水間鉄道の名前も見える。

計画されていた駅[24]
清児駅 - 病院前駅 - 七山駅 - 紀泉熊取駅 - 朝代駅 - 土丸駅 - 大木駅 - 犬鳴不動駅 - 神通駅 - 紀泉池田駅 - 紀泉長田駅 - 紀泉粉河駅

駅一覧

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  • 全駅が大阪府 貝塚市内に所在、全列車が各駅に停車。
  • 線路(全線単線) ... ◇・∨・∧:列車交換可能、|:列車交換不可
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路
貝塚駅 - 0.0 南海電気鉄道:NK 南海本線 (NK26)
貝塚市役所前駅 0.8 0.8   |
近義の里駅 0.4 1.2   |
石才駅 0.8 2.0   |
清児駅 0.8 2.8   |
名越駅 0.4 3.2  
森駅 1.1 4.3   |
三ツ松駅 0.4 4.7   |
三ヶ山口駅 0.4 5.1   |
水間観音駅 0.4 5.5  
  • 近義の里駅 - 石才駅間で、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線立体交差しているが、交差地点の近辺には両路線ともに駅はなく、接続はしていない。
  • 貝塚駅より0.2kmの地点には、かつて海塚駅があった(1925年 - 1972年)。開業当時はこの駅が起点駅であったためか、線内の距離標(キロポスト)は、現在でもこの地点を基準として設置され、同地点から水間観音駅に向かって純粋に数字が増えていく。
    • 海塚駅跡付近に建つ0キロポストより貝塚側は「貝塚連絡線」という。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 【転換力】水間鉄道(大阪府貝塚市)マツケン動画で全国"発進" 斬新企画次々、ファン拡大へ『読売新聞』朝刊2022年6月2日(地域面)
  2. ^ a b 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』(ネコ・パブリッシング)
  3. ^ 貝塚駅 駅と周辺情報 ほか南海電鉄(2022年6月4日閲覧)
  4. ^ 水間鉄道水間駅舎 貝塚市貝塚市教育部(2025年1月18日閲覧)
  5. ^ a b いよいよ水間鉄道にPiTaPaが導入されます』(プレスリリース)水間鉄道、2009年5月14日。オリジナルの2021年1月24日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20210624115826/https://www.suitetsu.com/info/pitapa/img/20090514pitapa.pdf  
  6. ^ 水間鉄道,大晦日の夜間延長運転を実施 鉄道ファン railf.jp(2024年12月15日)2025年1月18日閲覧
  7. ^ a b "水間観音 初詣対応 年末年始の運行(電車)について". 水間鉄道株式会社. 2022年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月1日閲覧。
  8. ^ "大晦日終夜運転の中止について(お知らせ)". 水間鉄道 (2020年12月18日). 2020年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月19日閲覧。
  9. ^ "水間観音 初詣対応 年末年始の運行(電車)について". 水間鉄道. 2021年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。
  10. ^ a b "(プレスリリース)デジタルアートフェスin水間観音2024の開催について". 水間鉄道. 2024年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月12日閲覧。
  11. ^ "「近畿ローカル鉄道まつり2022in貝塚」". 水間鉄道株式会社. 2022年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月1日閲覧。
  12. ^ 『水間鉄道50年の歩み』水間鉄道株式会社、1973年4月17日。 
  13. ^ a b 『新生水鉄のあゆみ』水間鉄道株式会社、1993年4月17日。 
  14. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年8月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年1月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年2月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1934年2月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 「私鉄年表」『私鉄車両編成表 '86年版』ジェー・アール・アール、1986年8月1日、153頁。 
  19. ^ "水間鉄道助役らを書類送検、踏切事故で安全対策怠った疑い 大阪府警". 産経新聞 . (2015年12月17日). オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160304091625/http://www.sankei.com/west/news/151217/wst1512170074-n1.html 2023年4月4日閲覧。 
  20. ^ 令和2年11月30日ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)水間鉄道、2020年11月3日http://www.suitetsu.com/event/20201102-1.pdf 2020年11月3日閲覧 
  21. ^ 私設鉄道認可九線却下九線」『大阪時事新報』1927年9月23日。2018年3月15日閲覧。
  22. ^ 彙報 鐵道免許狀下付犬鳴電氣鐵道株式會社外一(鐵道省)」『官報』1928年1月26日、529頁。doi:10.11501/2956782 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956782/7  
  23. ^ 鉄道免許失効」『官報』第1147号、大蔵省印刷局、1930年10月24日、NDLJP:2957614 
  24. ^ 草町義和「幻の鉄路をたどる(6) 水間鉄道粉河延長線(紀泉鉄道)」『鉄道ジャーナル』2015年4月号124〜131頁

参考文献

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関連項目

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