コンテンツにスキップ
Wikipedia

水野伊太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

水野 伊太郎(みずの いたろう、1896年(明治29年)6月20日 [1] - 1964年(昭和39年)3月26日 [2] )は、日本外交官特命全権公使

経歴

[編集 ]

静岡県出身。1919年(大正8年)、高等試験外交科に合格し、翌年に東京帝国大学 法学部法律科を卒業した[3] 。大使館三等書記官、外務 事務官、公使館二等書記官、同一等書記官を歴任し、その間にベルギーフランスルーマニアユーゴスラビアに勤務した[3] 1935年(昭和10年)、外務書記官・調査部第二課長となり[1] 、通商局第一課長、同第三課長兼第四課長などを経て、1940年(昭和15年)に通商局長に就任した[3] 。さらに南洋局長、大東亜省南方事務局長を務め[4] 1944年(昭和19年)から日泰攻守同盟条約慶祝使節随員首席の特命全権公使として、広田弘毅元首相、矢田部保吉 特命全権大使朝海浩一郎 書記官東光武三書記官らとタイ王国に派遣された[5]

戦後は南洋協会理事長を務めた[6]

栄典

[編集 ]

脚注

[編集 ]
  1. ^ a b 日本官界名鑑 1936.
  2. ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、985頁。
  3. ^ a b c 人事興信録 1941.
  4. ^ 人事興信録 1943.
  5. ^ 『官報』第5342号、昭和19年11月2日。
  6. ^ 第1次在外財産問題審議会提出資料(2)」 アジア歴史資料センター Ref.A13111641200 
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集 ]
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1936年。 
先代
山本熊一
外務省通商局長
1940年-1942年
次代
新納克己
先代
塚本毅
外務省南洋局長
1942年
次代
大東亜省に移管

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /