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武生房栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武生 房栄
生誕 釆睪(わけみ) 房栄
(1867年04月25日) 1867年 4月25日
近江国 高島郡(現・滋賀県)
死没 (1945年09月17日) 1945年 9月17日(78歳没)
教育 済生学舎
著名な実績 日本で12番目の女性医師
医学関連経歴
職業 医師
分野 眼科

武生 房栄(たけふ ふさえ、1867年 4月25日(慶応3年3月1日) - 1945年 9月7日)は、日本の女性医師。明治期からすくなくとも1920年(大正9年)まで、福井県内で活動していた女性医師は1名のみ[1] であり、この間、武生は県内ただ一人の女性医師であった。

近江国 高島郡(現・滋賀県)に生まれる。済生学舎(後に東京医学専門学校済生学舎、日本医科大学の前身)に学び[1] 1891年(明治24年)に24歳で医術開業試験に合格し[2] 、女性医師として日本で12番めに医籍登録した[1]

1893年(明治26年)福井県 敦賀郡 中郷村(現・敦賀市)堂の武生慶哲と結婚。同地で主に眼科を専門として開業し、西愛発・中愛発・東愛発などの近隣小学校の校医も務めた。1932年(昭和7年)に滋賀県高島郡海津村(現・高島市)へ転居するが、1944年に再び中郷村堂に帰り、翌年78歳で亡くなるまで地域医療に従事した[3]

脚注

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  1. ^ a b c 三﨑裕子『日本医史学雑誌 第54巻第3号』日本医史学会、2008年、281-292頁。 >
  2. ^ 『中外医事新報』第241号、1890年、p.41の「女子ノ醫術開業試驗及第者」には、20年に前期合格、22年に後期合格としている。
  3. ^ 宇野松雄『敦賀市医師会史: 敦賀の医療百年のあゆみ』敦賀市医師会、1980年、pp.49-50。同書には肖像写真あり。

外部リンク

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