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正木博

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正木 博(まさき ひろし、1897年(明治30年)1月4日[1] [2] - 1973年(昭和48年)4月29日[1] [2] )は、日本の陸軍 軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・上野[1] [2]

経歴

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福岡県出身[1] [2] [3] 熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業[1] [2] [4] 。同年12月、騎兵 少尉に任官し騎兵第19連隊付となる[1] [3] 。1922年(大正11年)3月、陸軍砲工学校高等科を卒業[1] 。帝国大学理工学部陸軍派遣学生として京都帝国大学 工学部電気工学科に入学し、1925年(大正14年)3月に卒業した[3] [5]

1925年5月、兵科航空兵科に転科し航空兵中尉に任官[1] 。同年9月、陸軍航空技術研究所付となり、陸軍航空本部員を務め、1927年(昭和2年)3月、航空兵大尉に昇進[1] 。1930年(昭和5年)5月、フランス駐在に発令され、1932年(昭和7年)12月、航空本部員に転じ、1933年(昭和8年)8月、航空兵少佐に進級[1] 。1935年(昭和10年)8月、航空技術研究所員に就任し、1937年(昭和12年)8月、航空兵中佐に進んだ[1] [3] 。同年10月から1938年(昭和13年)4月までイタリアに出張[1] 。1939年(昭和14年)3月、航空兵大佐に昇進し航空技術研究所員に就任[1] [3]

1942年(昭和17年)8月、航空技術研究所第4部長に就任し、同年10月、第3陸軍航空技術研究所長に転じた[1] [2] [3] 。1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進級し終戦を迎えた[1] [2] [3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本陸海軍総合事典』第2版、47-48頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』666頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』419頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』416、419頁。
  5. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版。146、613頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

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