橋本和
橋本 和
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名前 | |||
愛称 | ワタル | ||
カタカナ | ハシモト ワタル | ||
ラテン文字 | HASHIMOTO Wataru | ||
基本情報 | |||
国籍 | 日本の旗 日本 | ||
生年月日 | (1986年09月14日) 1986年 9月14日(38歳) | ||
出身地 | 滋賀県 長浜市(旧高月町) | ||
身長 | 181cm | ||
体重 | 72kg | ||
選手情報 | |||
在籍チーム | 日本の旗 FC岐阜SECOND | ||
ポジション | DF (SB) | ||
背番号 | 30 | ||
利き足 | 左足 | ||
クラブ1 | |||
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
2009-2014 | 柏レイソル | 135 | (5) |
2015-2016 | 浦和レッドダイヤモンズ | 7 | (0) |
2016 | →ヴィッセル神戸 (loan) | 14 | (0) |
2017-2020 | ヴィッセル神戸 | 31 | (1) |
2020-2022 | FC岐阜 | 66 | (3) |
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月20日現在。 ■しかくテンプレート(■しかくノート ■しかく解説)■しかくサッカー選手pj |
橋本 和(はしもと わたる、1986年 9月14日)は、滋賀県 伊香郡 高月町(現長浜市)出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(SB)。
来歴
[編集 ]父の影響で幼い頃からサッカーに親しみ、小学2年生の時に地元のクラブチームへ入団[1] 。利き手は右だが、物心がついた時から左足でボールを蹴っていた[1] 。
高月町立高月中学校に入学後、サッカー部がなかったことから、小学生時代の指導者が立ち上げたジュニアユースのクラブチーム「バーニングブラッドFC」へ入団[1] 。中学3年生の秋、青森山田高等学校のセレクションに合格し、特待生として進学した[1] 。同校サッカー部の同級生に盛礼良レオナルド、那須川将大がいた。
高校卒業後は、大阪体育大学に進学。同級生に田所諒、松尾元太がいた。2005年、2006年には、関西学生選抜としてデンソーチャレンジカップに出場[2] 。2008年、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝を飾った。
2009年、柏レイソルへ新加入する。同年のJ1第31節清水エスパルス戦で公式戦初出場。
2010年、J2の舞台で出場機会を増やし、リーグ戦29試合に出場。クラブ初のJ2優勝、J1復帰に貢献した。
2011年、左膝靭帯損傷による出遅れもあり、新加入のジョルジ・ワグネルに左サイドバックのレギュラーポジションを奪われてしまう[3] 。復帰後は途中出場が多く、J1第14節横浜F・マリノス戦では「高校3年生以来」となるセンターバックも務めたが[4] 、ワグネルが左サイドハーフにコンバートされたシーズン中盤に再びレギュラーを奪取した[3] 。J1優勝の懸かった最終節の浦和レッズ戦で、前半38分にコーナーキックのこぼれ球をオーバーヘッドキック気味のシュートでゴールへ流し込み、Jリーグ初得点を記録。結果として、これがクラブ初のJ1優勝を決める決勝点となった。
2012年、日本代表候補に初選出されたが、負傷によりキャンプには参加出来なかった[5] 。リーグ戦では引き続きレギュラーとして25試合に出場し、37年ぶりの天皇杯制覇も達成した。
2013年は、開幕前に右脛骨遷延性骨折で離脱したため[6] 、中断期間明けの6月23日に行われたヤマザキナビスコカップ準々決勝第1戦・広島戦でシーズン初出場を果たした。復帰以降は左サイドバックや左ウイングバックのポジションを掴み、出場停止や負傷を除いてほぼ全ての試合に出場した。
2014年12月12日、浦和レッドダイヤモンズへ完全移籍することが発表された。
2016年7月6日、ヴィッセル神戸へ期限付き移籍することが発表された[7] [8] 。浦和ではほとんど出場機会を得られなかったが、神戸移籍後は熟知するネルシーニョ監督のもと、すぐさま左サイドバックのレギュラーポジションを確保し、攻守に安定感のあるプレーでクラブの2ndステージ上位進出に貢献した。シーズン終了後に浦和から神戸に完全移籍で加入することが発表された。
2020年1月6日、FC岐阜へ完全移籍することが発表された[9] 。2022年11月16日、契約満了による退団が発表された[10] 。
2024年4月14日、FC岐阜サッカースクールのアシスタントコーチに就任[11] 。4月27日には、FC岐阜SECONDに選手登録される[12] 。
人物
[編集 ]- 2012年 3月4日、大学時代のサッカー部の同級生で、元岡山湯郷Belle所属の女子サッカー選手・中川理恵と結婚[13] 、2014年にはに第1子が誕生している[14] 。
- 体育の教員免許(中学校、高等学校)を持っている[15] [16] 。
- 勝利時の飴を配る際、飴が足りなくなると、代わりにタオルを渡す等ファンサービスがよい。
所属クラブ
[編集 ]- 1994年 - 1998年 日本の旗 高月サッカー少年団(高月町立高月小学校)
- 1999年 - 2001年 日本の旗 バーニングブラッドFC(高月町立高月中学校)
- 2002年 - 2004年 日本の旗 青森山田高等学校
- 2005年 - 2008年 日本の旗 大阪体育大学
- 2009年 - 2014年 日本の旗 柏レイソル
- 2015年 - 2016年 日本の旗 浦和レッドダイヤモンズ
- 2017年 - 2020年 日本の旗 ヴィッセル神戸
- 2020年 - 2022年 日本の旗 FC岐阜
- 2024年 - 日本の旗 FC岐阜SECOND
個人成績
[編集 ]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | 大体大 | - | - | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2008 | 4 | - | - | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||
2009 | 柏 | 22 | J1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
2010 | J2 | 29 | 0 | - | 2 | 0 | 31 | 0 | |||
2011 | J1 | 25 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 28 | 2 | ||
2012 | 25 | 1 | 4 | 0 | 5 | 0 | 34 | 1 | |||
2013 | 20 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 27 | 0 | |||
2014 | 32 | 3 | 9 | 1 | 2 | 2 | 43 | 6 | |||
2015 | 浦和 | 33 | 6 | 0 | 2 | 0 | 2 | 1 | 12 | 1 | |
2016 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | |||||
神戸 | 44 | 14 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 17 | 0 | ||
2017 | 22 | 14 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 20 | 1 | ||
2018 | 14 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 17 | 0 | |||
2019 | 32 | 3 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | ||
2020 | 岐阜 | 2 | J3 | 30 | 3 | - | - | 30 | 3 | ||
2021 | 26 | 0 | - | 1 | 0 | 27 | 0 | ||||
2022 | 4 | 10 | 0 | - | 2 | 0 | 12 | 0 | |||
2024 | 岐阜2 | 30 | 東海2部 | - | - | ||||||
通算 | 日本 | J1 | 158 | 6 | 31 | 1 | 21 | 4 | 210 | 11 | |
日本 | J2 | 29 | 0 | - | 2 | 0 | 31 | 0 | |||
日本 | J3 | 66 | 3 | - | 3 | 0 | 69 | 3 | |||
日本 | 他 | - | - | 3 | 0 | 3 | 0 | ||||
総通算 | 253 | 9 | 31 | 1 | 29 | 4 | 313 | 14 |
その他の公式戦
- 2012年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2011 | 柏 | 22 | - | 4 | 0 | |
2012 | 3 | 0 | - | |||
2013 | 4 | 0 | - | |||
2015 | 浦和 | 33 | 5 | 0 | - | |
2016 | 2 | 0 | - | |||
通算 | AFC | 9 | 0 | 4 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2014年 スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- 公式戦・Jリーグ初出場 - 2009年 11月8日 J1第31節 清水エスパルス戦 (日立柏サッカー場)
- 公式戦初得点 - 2011年 11月16日 第91回天皇杯 3回戦 ヴァンフォーレ甲府戦 (日立柏サッカー場)
- Jリーグ初得点 - 2011年 12月3日 J1第34節 浦和レッズ戦 (埼玉スタジアム2002)
タイトル
[編集 ]- JFAプリンスリーグ東北 : 2003年、2004年
- 東北高等学校サッカー選手権大会 : 2003年
- Jリーグ ディビジョン2 : 2010年
- Jリーグ ディビジョン1 : 2011年
- FUJI XEROX SUPER CUP : 2012年
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 : 2012年
- ヤマザキナビスコカップ : 2013年
- スルガ銀行チャンピオンシップ : 2014年
- Jリーグ ディビジョン1 1stステージ:2015年
代表歴
[編集 ]- 2012年 日本代表候補
脚注
[編集 ]- ^ a b c d on the way Player's Biography 06 橋本和 - 柏レイソル公式サイト
- ^ 大阪体育大学 橋本和選手 新加入内定 - 柏レイソル公式サイト 2008年10月10日
- ^ a b 柏レイソル初優勝の原動力を探る(1)巧みな選手操縦術 by 藤江直人 - スポーツタイムズ通信社 2011年12月 5日
- ^ 2011 Jリーグディビジョン1 第14節 - 柏レイソル公式サイト 2011年6月11日
- ^ 日本代表候補トレーニングキャンプ(4/23〜25@千葉)選手変更のお知らせ - 日本サッカー協会公式サイト 2012年4月23日
- ^ 橋本 和選手の負傷について 2013年3月3日付
- ^ "浦和レッズよりDF橋本和選手 期限付き移籍加入決定のお知らせ". ヴィッセル神戸. 2016年7月6日閲覧。
- ^ "橋本 和 ヴィッセル神戸へ期限付き移籍のお知らせ". 浦和レッドダイヤモンズ. 2016年7月6日閲覧。
- ^ "橋本和選手、ヴィッセル神戸(J1)より完全移籍加入のお知らせ". FC岐阜 (2020年1月16日). 2020年1月16日閲覧。
- ^ "橋本和選手、契約満了のお知らせ". FC岐阜 (2022年11月16日). 2022年11月16日閲覧。
- ^ "橋本和氏、サッカースクールのアシスタントコーチ就任のお知らせ". FC岐阜 (2024年4月8日). 2024年4月8日閲覧。
- ^ "橋本和氏、FC岐阜SECONDに選手登録のお知らせ". FC岐阜 (2024年4月27日). 2024年4月27日閲覧。
- ^ 橋本和選手が入籍 - 柏レイソル公式サイト 2012年3月9日
- ^ 柏DF橋本がパパに...元なでしこ戦士との間に女の子誕生
- ^ 柏レイソル:新体制発表会見での新加入選手コメント - J's Goal 2009年1月19日
- ^ FOOTBALL365日 : 小学校訪問 - スポーツ報知サッカー担当記者リレー日記 2011年10月21日
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- 橋本和 - Soccerway.com (英語)Edit on Wikidata
- 橋本和 - FootballDatabase.eu (英語)Edit on Wikidata
- 橋本和 - WorldFootball.net (英語)Edit on Wikidata
- 橋本和 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)Edit on Wikidata
- 橋本和 - FIFA主催大会成績 (英語)Edit on Wikidata
- 橋本和 - J.League Data Siteによる選手データEdit on Wikidata
- 橋本和 (@wataru__hashimoto) - Instagram