横堀治三郎
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横堀 治三郎(よこぼり じさぶろう、明治4年3月20日 [1] (1871年 5月9日) - 昭和13年(1938年)5月27日 [2] )は、衆議院議員(立憲政友会)、冶金学者。
経歴
[編集 ]上総国 長柄郡 茂原町(現在の千葉県 茂原市)出身。共立学校、第一高等中学校を経て、1894年(明治27年)に東京帝国大学 工科大学採鉱冶金学科を卒業。三菱合資会社高島炭鉱技師となったが、1896年(明治29年)に東京帝国大学工科大学助教授に就任した。翌年よりドイツに留学し、1899年(明治32年)に帰国した後は京都帝国大学理工科大学教授に迎えられた。1901年(明治34年)、工学博士号を受ける。
1913年(大正2年)に澤柳事件により京都帝国大学を辞したが、1917年(大正6年)に秋田鉱山専門学校校長に就き[3] 、1925年(大正14年)まで在職した。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
家族
[編集 ]- 妻・つな - 渡辺渡 (冶金学者)長女
- 長男・隆一
- 長女・京 - 瀬川昌邦の妻
- 二男・義二
- 二女・宮
- 三女・かづ
- 三男・三雄
栄典
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 井関九郎『大日本博士録 第五巻』発展社、1930年。