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樋口正蔵

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(2013年9月)
樋口 正蔵
『戦後二十年プロ野球の歩み』(1965年)
掲載写真より
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府 大阪市
生年月日 (1939年09月26日) 1939年 9月26日(85歳)
身長
体重
176 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1962年
初出場 1962年
最終出場 1971年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

樋口 正蔵(ひぐち しょうぞう、1939年 9月26日 - )は、日本の実業家、元プロ野球選手。現役時代のポジションは外野手一塁手

来歴・人物

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大阪府出身。浪華商業では、2年生の1956年中堅手として夏の甲子園に出場。準々決勝に進むが、この大会に優勝した平安高に敗れた[1]

卒業後は法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中に4度優勝。レギュラー外野手として1960年春季、1961年秋季リーグの2度の優勝に貢献する。1960年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で同志社大のエース山尾孝雄の好投に苦しむが、延長14回の熱戦の末に優勝を飾る。リーグ通算30試合出場、105打数33安打、打率.314、0本塁打、11打点。大学同期に新山彰忠小川博室山皓之助がいた。1962年南海ホークスに入団。

1年目から一軍に定着、主に代打として起用されるが、外野手、一塁手もこなす。2年目の1963年には不振の穴吹義雄に替わり、レギュラー右翼手として起用される。同年は400フィート打線の一番打者として135試合に出場し、ジャック・ブルーム榎本喜八に次ぐベストテン3位の打率.313を残す。翌1964年は、阪急ブレーブスから戻った杉山光平との併用で昨年と同じく右翼を守り、打率.296の好成績をあげるが、夏場の欠場が響き規定打席には届かなかった。しかし前年に南海コーチのカールトン半田に伝授されたドラッグバントを武器に、内野安打を55本打ち、プロ野球のシーズン記録を達成する。55本の内の25本は得意のバントヒットによるものだった。また強肩を活かし11補殺を記録する。同年の阪神タイガースとの日本シリーズでは全7試合に先発出場、27打数9安打の好記録でチーム日本一に貢献。1965年は杉山の不振もあり、主に二番打者として110試合に出場する。1965年、1966年のリーグ優勝にも大きな役割を果たした。1967年には2度目の規定打席に到達(19位、打率.256)。1970年には門田博光が入団し開幕から右翼手の定位置を譲るが、打撃は好調を維持し、シーズン中盤にはポジションを奪回、打率.325の好成績を残す。1971年に通算1000試合を記録し、同年限りで引退した。

現在は大阪府内に所在する螺子製造・卸売会社の社長。[要出典 ]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1962 南海 70 88 80 8 20 3 0 1 26 8 4 1 2 0 5 0 1 9 0 .250 .302 .325 .627
1963 135 510 464 57 145 12 9 3 184 33 9 5 17 1 23 0 5 23 2 .313 .352 .397 .748
1964 135 363 324 43 96 10 2 1 113 28 8 5 9 1 25 1 4 19 2 .296 .354 .349 .703
1965 110 308 280 32 73 11 1 1 89 15 1 3 6 2 17 0 3 18 3 .261 .310 .318 .628
1966 102 295 268 23 71 9 1 1 85 17 3 1 7 1 18 0 1 16 0 .265 .314 .317 .631
1967 121 449 410 39 105 11 2 0 120 24 8 5 11 2 25 1 1 33 8 .256 .300 .293 .593
1968 116 342 320 40 92 7 2 5 118 32 5 1 6 2 12 0 2 20 1 .288 .317 .369 .686
1969 95 329 299 26 78 8 0 0 86 14 1 3 7 0 20 1 3 25 2 .261 .314 .288 .601
1970 80 262 240 33 78 17 1 2 103 28 1 1 3 2 16 0 1 5 2 .325 .370 .429 .799
1971 72 174 162 16 42 6 0 1 51 13 1 0 2 1 7 0 2 6 2 .259 .298 .315 .613
通算:10年 1036 3120 2847 317 800 94 18 15 975 212 41 25 70 12 168 3 23 174 22 .281 .313 .342 .655
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 3 (1962年 - 1971年)

馬主として

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勝負服は水色、赤一本輪、赤袖。冠名は「バンブトン」(冠名を用いない馬もいる)。父正一も中央競馬馬主協会連合会会長を務めた馬主だった。

主な所有馬

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脚注

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  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

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