桜本駅
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桜本駅 | |
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さくらもと Sakuramoto | |
◄入江崎 (1.2km) | |
所在地 | 神奈川県 川崎市 川崎区 桜本 |
所属事業者 | 京浜急行電鉄 |
所属路線 | 大師線 |
キロ程 | 8.0 km(京浜川崎起点) |
開業年月日 | 1945年(昭和20年)1月7日 |
廃止年月日 | 1952年(昭和27年)1月1日 |
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桜本停留所 | |
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さくらもと Sakuramoto | |
◄桜橋 (0.4 km) (0.2 km) 池上新田► | |
所在地 | 神奈川県 川崎市 川崎区 桜本 |
所属事業者 | 川崎市交通局 |
所属路線 | 川崎市電 |
キロ程 | 4.8 km(市電川崎起点) |
開業年月日 | 1945年(昭和20年)12月6日 |
廃止年月日 | 1969年(昭和44年)4月1日 |
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桜本駅(さくらもとえき)または桜本停留所(さくらもとていりゅうじょ)は、かつて神奈川県 川崎市 川崎区にあった川崎市電の停留所。
元々は京急 大師線の鉄道駅でもあり、同線と川崎市電の接続駅であったが、1951年に大師線の塩浜駅 - 当駅間が川崎市電に買収され、以降は川崎市電単独の停留所となった。
歴史
[編集 ]- 1945年(昭和20年)1月7日 - 東京急行電鉄(大東急)大師線・入江崎駅 - 当駅間延伸開業に伴い駅開業。
- 1945年(昭和20年)12月6日 - 川崎市電・浜町三丁目停留所 - 当停留所間延伸開業、大師線と接続。
- 1948年(昭和23年)6月1日 - 大東急解体に伴い、京浜急行電鉄の駅となる。
- 1951年(昭和26年)3月16日 - 川崎市電、京急大師線の一部区間に乗り入れ開始。
- 1952年(昭和27年)1月1日 - 川崎市電、京急大師線の当駅 - 塩浜駅間を買収、川崎市電単独の停留所となる。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 川崎市電廃線に伴い廃駅。
駅構造
[編集 ]両路線が開通した1945年当時、それぞれ1面1線のホームが隣り合うように設置されていた。その後、国鉄貨物線の乗り入れに伴って前後区間が三線軌条化された際は、ホームの反対側の線路が繋がった[1] 。この際に市電・京急の標準軌も繋がったが、その部分は非電化であった[2] 。
京急が桜本 - 塩浜間を市電に譲渡した後、貨物列車の昼間運行開始に伴って線路が改良され、1954年には2面2線の停留所となった[1] 。その後、1964年に池上新田 - 塩浜間が休止した際、浜町三丁目 - 池上新田間の単線化も実施し、上り線の線路敷を国鉄に譲渡した[3] 。これに伴い下り線の三線軌条は解消され、廃止まで標準軌のみの1面1線ホームとなっていた[1] 。
桜本駅・桜本停留所 構内配線の変遷
現状
[編集 ]神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)および首都高速神奈川1号横羽線の脇にあたり、現在は緑地帯となっている。付近には川崎市バス桜本停留所がある。
駅周辺
[編集 ](現在)
- 神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)
- 首都高速神奈川1号横羽線
- 東海道貨物線
- 川崎朝鮮初級学校
- 昭和冷蔵川崎工場
- 池上新田公園
隣の駅
[編集 ]- 京浜急行電鉄
- ■しかく大師線
- 入江崎駅 - 桜本駅
- 川崎市交通局(川崎市電)
- 桜橋停留所 - 桜本停留所 - 池上新田停留所[注 1]
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
注釈
[編集 ]- ^ 桜本 - 塩浜間が川崎市電に買収された際に桜本 - 入江崎間に新設。
出典
[編集 ]- ^ a b c d 関田克孝、宮田道一『世田谷と川崎の路面電車』ネコ・パブリッシング、2023年、80頁。ISBN 978-4-7770-5531-9。
- ^ 関田克孝、宮田道一『世田谷と川崎の路面電車』ネコ・パブリッシング、2023年、81頁。ISBN 978-4-7770-5531-9。
- ^ 関田克孝、宮田道一『世田谷と川崎の路面電車』ネコ・パブリッシング、2023年、67頁。ISBN 978-4-7770-5531-9。
参考書籍
[編集 ]- 今尾恵介監修 『日本鉄道旅行地図帳4号 関東2』(新潮社 2008年、 ISBN 978-4-10-790022-7)
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]廃止区間 | |
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