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枝村勉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
枝村 勉
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県 鎌倉市
生年月日 (1933年02月28日) 1933年 2月28日
没年月日 (2020年10月04日) 2020年 10月4日(87歳没)
身長
体重
175 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1955年
初出場 1955年
最終出場 1960年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

枝村 勉(えだむら つとむ、1933年 2月28日 - 2020年 10月4日 [1] )は、神奈川県 鎌倉市 [2] 出身の元プロ野球選手(外野手)。

経歴

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鎌倉学園から早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは4回の優勝を経験。木村保石井連藏の両エースを擁し、1954年秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算67試合出場、208打数48安打、打率.231、2本塁打、24打点。

1955年に大学の先輩・藤本定義率いる大映スターズに入団[2] 。開幕戦から1番打者、右翼手として起用され、この試合で本塁打を放つ[3] 。同年は夏に調子を落とすが、55試合に先発出場。

1956年には7月から3番打者に抜擢され、121試合に出場した。

1957年は主に5番打者として起用され、オールスターゲームにも初出場する[2] が、打撃面で低迷。

1958年に大学時代の恩師森茂雄が球団社長の大洋ホエールズへ移籍[2] 。しかし活躍の場に恵まれず1960年限りで引退した[2]

実家は茶舗を営んでおり、引退後は継いでいた[4]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1955 大映 77 228 207 16 40 3 0 2 49 15 4 3 1 1 18 0 1 30 7 .193 .261 .237 .498
1956 121 416 387 30 93 17 3 4 128 40 10 6 2 3 21 0 3 59 6 .240 .285 .331 .615
1957 118 354 326 43 69 15 2 9 115 36 5 3 2 4 19 1 3 73 7 .212 .261 .353 .614
1958 大洋 17 26 25 1 1 1 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 7 0 .040 .040 .080 .120
1959 61 111 101 6 20 2 0 1 25 8 0 0 1 0 9 0 0 15 2 .198 .264 .248 .511
1960 23 27 26 2 2 0 0 0 2 1 0 0 1 0 0 0 0 7 1 .077 .077 .077 .154
通算:6年 417 1162 1072 98 225 38 5 16 321 100 19 12 8 8 67 1 7 191 23 .210 .261 .299 .560

記録

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  • オールスターゲーム出場:1回 (1957年)
  • 新人の開幕戦本塁打 (注記)史上3人目[5]
  • 新人の開幕からの2試合連続本塁打 (注記)史上初[6]

背番号

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  • 5 (1955年 - 1957年)
  • 10 (1958年 - 1960年)

脚注

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  1. ^ 枝村園facebookより
  2. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、89ページ
  3. ^ ベースボールマガジン、2012年5月号 P91
  4. ^ 神宮球場ガイドブック2001年秋号 「神宮球場から翔び立ったプロ野球のスターたち」越智正典
  5. ^ 千葉功「中村晃、銀次らの「デビュー戦」を振り返る」『週刊ベースボールONLINE』2015年4月5日。2024年3月30日閲覧
  6. ^ スポニチ野球記者'24 [@SponichiYakyu] (2024年3月30日). "【記録メモ(30日)】". X(旧Twitter)より2024年3月30日閲覧

関連項目

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外部リンク

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