松橋町
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まつばせまち 松橋町 | |
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松橋大塚古墳 | |
廃止日 | 2005年1月15日 |
廃止理由 |
新設合併 松橋町、三角町、不知火町、小川町、豊野町 → 宇城市 |
現在の自治体 | 宇城市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 熊本県 |
郡 | 下益城郡 |
市町村コード | 43343-8 |
面積 | 38.15 km2 |
総人口 |
25,010人 (2000年10月1日) |
隣接自治体 | 宇土市、下益城郡城南町、小川町、豊野町、宇土郡不知火町 |
町の木 | 松 |
町の花 | コスモス |
松橋町役場 | |
所在地 |
〒869-0592 熊本県下益城郡松橋町大字大野85 |
座標 | 北緯32度38分52秒 東経130度41分03秒 / 北緯32.64781度 東経130.68428度 / 32.64781; 130.68428 座標: 北緯32度38分52秒 東経130度41分03秒 / 北緯32.64781度 東経130.68428度 / 32.64781; 130.68428 |
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松橋町(まつばせまち)は、熊本県の中部に位置していた町。2005年 1月15日、宇土郡三角町・不知火町および下益城郡 小川町・豊野町と合併し宇城市となったため自治体としては消滅した(松橋町のあった地区は「宇城市松橋町」となっている)。主な基幹産業は農業である。
歴史
[編集 ]- 1889年 4月1日 - 町村制実施に伴い、松橋村が町制移行。
- 1954年 12月1日 - 松橋町、当尾村、豊福村、豊川村が対等合併。新町制による松橋町が発足。
- 1990年 3月1日 - 下益城郡 豊野村と境界変更。
- 2005年 1月15日 - 三角町、不知火町、小川町、豊野町と合併。宇城市が成立。
経済
[編集 ]産業
[編集 ]- 農業
- 水産業
特産物
[編集 ]- レンコン
地域
[編集 ]教育
[編集 ]- 中学校
- 松橋中学校
- 下益城西部中学校(1971年松橋中学校新設のため豊川中学校と統合)
- 豊川中学校(1971年松橋中学校新設のため下益城西部中学校と統合)
- 小学校
国の機関
[編集 ]- 熊本労働局松橋公共職業安定所
県の機関
[編集 ]- 宇城地域振興局
- こども総合療育センター
- 松橋警察署
交通
[編集 ]鉄道路線
[編集 ]町内に駅はなかったが、隣の不知火町に鹿児島本線 松橋駅があった。
道路
[編集 ]- 高速道路
- 一般国道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集 ]- 豊福阿蘇神社
- 松橋神社
- 大野神社
- 曲野神社
- 寄田神社(高群逸枝 - 望郷子守歌の碑)
- 郷土資料館(曲野)
- アドベンチャーパーク(曲野)
- 大道夫婦塚公園(曲野)
- 女夫塚古墳(曲野)
- トーナンレークカントリークラブ(松山)
- 岡岳山(松山)
- 松橋大塚古墳
出身著名人
[編集 ]- 竹崎季長(鎌倉幕府御家人)
- 福田令寿(医師・教育者・社会事業者)
- 吉澤一喜(武道家)
- 高群逸枝(詩人・民俗学者)
- 松田喜一(農業研究者、教育者)
- 奥村政雄(日本カーバイド工業創立者)
- 福田得志(鹿児島大学学長、薬理学者)
- 中山寧人(陸軍少将・元松橋町長)
- 塔本シスコ(画家)
- 秋岡芳夫(工業デザイナー)
- 江藤慎一(野球)[1]
- 秋本勝則(元柔道選手)
- 落合正幸(プロサッカー選手)
- 平岡和徳(サッカー指導者、熊本県立大津高等学校サッカー部監督)
- 秋本啓之(柔道選手)
- 緒方亜香里(柔道選手)
- 川上優子(元陸上競技選手)
- 中上真亜子(タレント)
脚注
[編集 ]- ^ "闘将・江藤慎一がプロ野球選手になるまで。貧困から名将や名スカウトとの出会い". 2022年1月10日閲覧。
関連項目
[編集 ] スタブアイコン
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