コンテンツにスキップ
Wikipedia

松平直寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 松平直泰」とは別人です。
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"松平直寛" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2024年1月)
 
松平 直寛
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 天明3年6月27日(1783年 7月26日)
死没 嘉永3年10月21日(1850年 11月24日)
官位 従四位下宮内大輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
広瀬藩
氏族 越前松平家
父母 父:松平近貞、母:佐野氏
養父:松平直義
正室:前田利物の娘
継室:内藤政韶の娘
側室:安達氏
直諒 政徳直審定詢直慈政雅道久直行直在資貞直巳、蔵子(山名義問正室)、酒井道教室、阿部正義正室、佐野時行正室、平野長発継室、加藤明軌正室、形原松平信敏正室、高木某正室
テンプレートを表示

松平 直寛(まつだいら なおひろ)は、出雲 広瀬藩の第8代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家8代。

経歴

[編集 ]

第6代藩主・松平近貞の長男。母は側室・佐野氏。父が老年でようやく生まれた実子であったが、すでに父は家督を養嗣子の直義に譲っていたため、享和3年(1803年)の直義の死去により家督を継ぐこととなった。天保12年(1841年)に譜代衆取締役となり、功を挙げたことから城主格を与えられた。

しかし藩政においては水害に見舞われたにもかかわらず、藩政に無関心で帰国しなかった。嘉永3年(1850年)10月21日、68歳で死去し、家督は長男の直諒が継いだ。

子女

[編集 ]
広瀬松平家広瀬藩8代藩主 (1803年 - 1850年)

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /