松平忠禎
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松平 忠禎(まつだいら ただよし、1869年6月25日(明治2年5月16日 [1] ) - 1926年(大正15年)4月3日[1] [注 1] )は、明治から大正期の陸軍 軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍歩兵 少尉。貴族院子爵議員。旧姓・間部[1] 。
経歴
[編集 ]旧鯖江藩主・間部詮勝の十男として生まれる[1] [2] 。1891年(明治24年)8月、旧小幡藩主家当主、子爵・松平忠恕の養子となる[1] [2] 。養父の死去に伴い、1902年(明治35年)6月7日に子爵を襲爵した[1] [3] 。
学習院高等学科を修了[4] 。1892年(明治25年)一年志願兵として近衛歩兵第1連隊に入隊[4] 。1894年(明治27年)陸軍歩兵少尉に任官し、臨時陸軍検疫部事務官、近衛歩兵第4連隊補充大隊第2中隊付、学習院学生副官などを務めた[2] [4] 。1904年(明治37年)に退官した[4] 。
1904年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[5] [6] 、1911年(明治44年)7月9日まで1期在任した[4] 。
1916年(大正5年)12月11日に隠居し[注 2] 、1917年(大正6年)3月26日に分家した[1] 。
親族
[編集 ]- 妻:雪子(養父七女)[1]
- 長男:忠相(子爵)[1]
- 長女:金子 - アルベール・シャルル・デュ・ブスケの三男シャルル(帰化名・林治信)の妻[7] [8]
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 松平忠恕 |
子爵 (小幡)松平家第2代 1902年 - 1916年 |
次代 松平忠相 |