松島廉作
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松島 廉作(まつしま れんさく、安政3年8月29日 [1] (1856年 9月27日) - 昭和14年(1939年)4月22日 [2] )は、日本の衆議院議員(立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党)。
経歴
[編集 ]遠江国 豊田郡 美川村(現在の静岡県 袋井市)に金井文平の二男として生まれ、長上郡 五島村(現在の浜松市 中央区)の松島五右衛門の養子となった[3] 。東京専門学校(現在の早稲田大学)で政治学・経済学を学んだ[1] 。1886年(明治19年)、静岡県会議員に当選した[3] 。1892年(明治25年)、第2回衆議院議員総選挙に当選。以後、当選回数は6回を数えた[2] 。
また、静岡民友新聞社を創設し、社長を務めた[2] 。
出典
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ a b 衆議院議員列伝 1901, p. 391.
- ^ a b c 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ a b 岳陽名士伝 1891, pp. 543–546.
参考文献
[編集 ]- 山田万作『岳陽名士伝』1891年。
- 山崎謙『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。