東八森駅
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東八森駅[* 1] | |
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駅舎(2017年7月) | |
ひがしはちもり Higashi-Hachimori | |
◄沢目 (3.9 km) (4.7 km) 八森 ► | |
地図 | |
秋田県 山本郡 八峰町八森字家の後[1] [2] | |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■しかく五能線 |
キロ程 | 18.0 km(東能代起点) |
電報略号 | ヒハ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[1] |
開業年月日 | 1926年(大正15年)4月26日 [1] [3] |
備考 | 無人駅 [1] [2] |
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東八森駅(ひがしはちもりえき)は、秋田県 山本郡 八峰町八森字家の後[2] にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)五能線の駅である[1] 。
歴史
[編集 ]開業時は、八森町役場(のちの八峰町八森庁舎)が今の八森駅付近に移転するまでは旧・八森町の中心駅であり、当駅が八森駅を名乗っていたが、1959年(昭和34年)に八森町役場の移転に伴い隣の椿駅が八森駅に改称されることになり、同年11月1日の椿駅の改称に先立ち10月1日に東八森駅に改称された。
八森町が八峰町として合併後、旧峰浜村役場と旧八森町役場のおおよそ中間に役場を設置したため当駅が八峰町役場の近隣駅となっている。
年表
[編集 ]- 1926年(大正15年)4月26日:国鉄の八森駅として山本郡 八森村に開業[1] [3] 。
- 1959年(昭和34年)10月1日:東八森駅に改称[1] [3] 。
- 1971年(昭和46年)10月1日:無人化および貨物の取り扱い廃止[4] [5] [6] 。ただし、翌年3月31日までは(日曜・祝日を除く)6時から15時半まで旅客扱い要員を1名配置する[7] 。
- 1972年(昭和47年)7月1日:簡易委託駅となる[8] 。
- 1979年(昭和54年)4月:現駅舎が完成し、供用を開始[9] 。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる[3] 。
- 時期不詳:簡易委託廃止、完全無人化。
駅構造
[編集 ]単式ホーム1面1線を有する地上駅である[1] 。かつては交換設備を有していた。駅舎は白いカプセル式の待合所機能があるものである[1] 。
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ホーム(2017年6月)
駅周辺
[編集 ]住宅が立ち並んでおり、ホームセンターや郵便局、700メートルほど離れた所には薬局とコンビニがある。
隣の駅
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g h i j 『週刊 JR全駅・全車両基地』 31号 青森駅・弘前駅・深浦駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年3月17日、24頁。
- ^ a b c d "駅の情報(東八森駅):JR東日本". 東日本旅客鉄道. 2024年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月11日閲覧。
- ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、549頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「陳情攻勢で"無人化"が後退 秋鉄局 日中だけ駅員配置 ただし本年度いっぱい」『秋田魁新報』秋田魁新報社、1971年9月29日、朝刊、12面。
- ^ 「日本国有鉄道公示第401号」『官報』1971年10月1日。
- ^ 「通報 ●くろまる鯉川駅ほか29駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年10月1日、11面。
- ^ 「営業体制近代化」『交通新聞』交通協力会、1971年10月5日、1面。
- ^ 「一日から五駅の簡易乗車券発売を委託」『交通新聞』交通協力会、1972年6月29日、1面。
- ^ 「東八森駅舎完成」『読売新聞』1979年4月17日、秋田。
- ^ 『Suicaエリア外もチケットレスで! 東北エリアから「えきねっとQチケ」がはじまります』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2024年7月11日。オリジナルの2024年7月11日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20240711051550/https://www.jreast.co.jp/press/2024/20240711_ho02.pdf 。2024年8月13日閲覧。
関連項目
[編集 ]ウィキメディア・コモンズには、東八森駅 に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
[編集 ]- 駅の情報(東八森駅):JR東日本