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村本善之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村本善之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道 亀田郡 大野町
(現・北斗市)
生年月日 (1955年06月07日) 1955年 6月7日(69歳)
身長 160cm
体重 53kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
初免許年 1975年
免許区分 平地競走
騎手引退日 2003年
重賞勝利 43勝
G1級勝利 7勝
通算勝利 8,737戦972勝
経歴
所属 栗東坂田正行(1975年 - 1984年)
栗東・フリー(1984年 - 2003年)
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村本 善之(むらもと よしゆき、1955年 6月7日 - )は日本中央競馬会 (JRA) に所属する調教助手で、元騎手GI級競走7勝を挙げたほか、フェアプレー賞を史上第2位の13回受賞している。北海道 亀田郡 大野町(現・北斗市)出身。

来歴

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中学校卒業後、縁戚にあたる新規開業調教師坂田正行厩舎に入門。清水英次は兄弟子にあたる。馬事公苑騎手養成短期課程を受講後、1975年に騎手免許を取得。同年3月1日に正騎手としてデビューし、同日第9競走で初勝利を挙げた。

デビュー2年目に鎖骨骨折による休養を経験したが、徐々に頭角を現し、5年目の1979年にニチドウアラシ金鯱賞に優勝し、重賞を初制覇。同年42勝を挙げて全国リーディング12位に付ける躍進を見せた。翌年にはニチドウタロー天皇賞(春)を制し八大競走に初優勝した。以降、1984年に厩舎の都合によりフリーランスに転向したあとも、常にランキング10位近辺をうかがう中堅上位騎手として安定した成績を残した。メジロデュレンとのコンビで菊花賞(1986年)、有馬記念(1987年)を制したほか、宝塚記念(1985年・スズカコバン、1995年・ダンツシアトル)、阪神3歳S(1988年・ラッキーゲラン)、優駿牝馬(1992年・アドラーブル)と通算G1級レースを7勝した。

しかし1990年代後半から徐々に勝利数が減少し、2001年には8勝でデビュー以来初のひと桁勝利に終わると、翌年も同様の成績に終わり、2003年12月10日に騎手を引退した。

通算成績は972勝で、1000勝まで28勝を残しての引退だった。

引退後は調教助手に転業し、栗東トレーニングセンター吉岡八郎厩舎に所属。2008年からは池江泰郎厩舎所属となり、2011年の池江泰郎の定年に伴う厩舎解散により、高野友和厩舎に移籍した。

「人の進路を押しのけてまで乗りたくない[1] 」とする考えから、非常にクリーンな騎乗振りで知られ「フェアプレー男」の異名も与えられていた。また、フェアプレー賞は馬を真っ直ぐ走らせる技術の証左ともいえ、村本自身も「貰えるというのは名誉なこと[2] 」と語っていた。そのフェアプレー賞は13回受賞しており、これはJRA騎手では藤田伸二(16回。2007年に村本の記録を更新)に次ぐ歴代第2位の受賞回数を誇るが、制裁点が0になった年は一度もないため、特別模範騎手賞は受賞していない。

通算成績

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通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 961 875 826 6,003 8,665 .111 .212
障害 11 13 7 7 41 .153 .333
972 888 833 6,044 8,737 .111 .213
  • 初出走 1978年3月1日コロナリイクイン(9着)
  • 初勝利 1978年3月1日キタノボーイ
  • 全国最高7位(1984年・63勝)
  • 重賞競走43勝(うちGI級競走7勝)

主な騎乗馬

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(注記)括弧内は村本騎乗による優勝重賞競走、太字はGI級競走、斜体は当時統一格付けのない地方競馬主催の交流競走。

脚注

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  1. ^ 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)268頁。
  2. ^ 『競馬騎手読本』(宝島社、1997年)188頁。

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