朝日山古墳
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朝日山古墳 | |
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石室開口部前 | |
別名 | 原峰古墳[1] |
所在地 | 愛媛県 四国中央市金田町金川乙 |
位置 | 北緯33度58分40.92秒 東経133度35分12.78秒 / 北緯33.9780333度 東経133.5868833度 / 33.9780333; 133.5868833 座標: 北緯33度58分40.92秒 東経133度35分12.78秒 / 北緯33.9780333度 東経133.5868833度 / 33.9780333; 133.5868833 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径17m 高さ4.5m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
出土品 | 須恵器 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 愛媛県指定史跡「朝日山古墳」 |
地図 |
朝日山 古墳の位置(愛媛県内) 朝日山 古墳 朝日山 古墳 |
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朝日山古墳(あさひやまこふん)は、愛媛県 四国中央市金田町金川にある古墳。形状は円墳。愛媛県指定史跡に指定されている。
概要
[編集 ]愛媛県東部、宇摩平野を一望する原峰丘陵尾根上に築造された古墳である。
墳形は円形で、直径17メートル・高さ4.5メートルを測る[2] 。墳丘周囲には周溝状の遺構が認められる[2] 。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する。玄室・玄門・羨道・羨門が良好な状態で完存する点で貴重な石室になる。副葬品としては須恵器があったが、現在までにほとんどが散逸している[2] 。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半[3] (または7世紀代[4] )頃と推定される。
古墳域は1968年(昭和43年)に愛媛県指定史跡に指定された[3] 。なお、本古墳の南西400メートルにも同様の古墳が存在したが、現在はほぼ失われている[1] 。
埋葬施設
[編集 ]石室 玄室
埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。玄室・玄門・羨道・羨門が完存する。石室の規模は次の通り[2] 。
- 石室全長:7.0メートル[3]
- 玄室:長さ4.5メートル、幅2.0メートル、高さ2.4メートル
- 羨道:長さ2.5メートル、幅1.6メートル、高さ2.0メートル
石室の石材は結晶片岩 [3] 。下半分は割石を垂直に立てることで腰石とし、その上に小型の石を持ち送って積み上げる[4] [3] 。奥壁には一枚石が使用される[4] 。玄門・羨門はいずれも両側に石柱を持つ門構造であり、その形態から羨道部を前室、玄室部を後室とする複室構造の石室の可能性も指摘される[3] 。
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玄室(羨道方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
文化財
[編集 ]愛媛県指定文化財
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 史跡説明板(愛媛県教育委員会・川之江市教育委員会設置)
- 「朝日山古墳」『日本歴史地名大系 39 愛媛県の地名』平凡社、1980年。ISBN 4582490395。
外部リンク
[編集 ]ウィキメディア・コモンズには、朝日山古墳 に関連するカテゴリがあります。
- 朝日山古墳 - 四国中央市教育委員会文化振興課「四国中央市の文化財」