春風亭柳枝 (7代目)
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七代目 | |
本名 | |
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別名 | エヘヘの柳枝 |
生年月日 | 1893年 9月 |
没年月日 | 1941年 1月14日 |
出身地 | 日本の旗 日本・東京都 |
師匠 | 五代目柳亭左楽 |
名跡 | 1. 柳亭左太郎 (1909年 - 1916年) 2. 柳亭福楽 (1916年 - 1918年) 3. 春風亭楓枝 (1918年 - 1920年) 4. 二代目柳亭痴楽 (1920年 - 1927年) 5. 五代目柳亭芝楽 (1927年 - 1934年) 6. 七代目春風亭柳枝 (1934年 - 1941年) |
活動期間 | 1909年 - 1941年 |
配偶者 | 岸沢式多女 |
所属 | 柳派 |
七代目 春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし、1893年〈明治26年〉9月 - 1941年〈昭和16年〉1月14日)は、東京府出身の落語家。本名∶渡辺 金太郎。本所裏沢町の裏長屋に住んでいた。
経歴
[編集 ]1893年、旧東京府(現在の東京都)に生まれる。落語家になる前は茶番師をしていたとも、太神楽師をしていたとも、ドサ廻りの役者をしていたともされる。
1909年(明治43年)4月、5代目柳亭左楽に入門し、左太郎を名乗る。1916年〜1917年(大正5〜6年)頃には福楽、1918年(大正7年)には楓枝を名乗った。1920年(大正9年)12月、雷門志ん橋、雷門三升、六代目春風亭梅枝、二代目柳亭痴楽、九代目司馬龍生、三遊亭圓都、春風やなぎと共に真打に昇進し、2代目柳亭痴楽を襲名する。1927年(昭和2年)11月に5代目柳亭芝楽を襲名し、1934年(昭和9年)11月には7代目春風亭柳枝を襲名した。
丸顔で出っ歯の愛敬ある顔立ちで、噺の合間に「エヘヘ」というフレーズを織り交ぜることから「エヘヘの柳枝」と呼ばれた。歌い調子のリズミカルな口調で滑稽噺を得意とし、レコード吹き込みも多く、将来を嘱望されていたが、病気のため49歳の若さで死去した。墓所は四谷 西応寺。戒名は「東膠院釈柳枝居士」。
人物
[編集 ]- 妻は常磐津の岸沢式多女といい、女道楽の岸沢式多津と組んで高座を仲良く勤めていた。
- 本名(渡辺金太郎)が春風亭の先生こと六代目春風亭柳橋と同じである。
- のちにラジオやテレビで人気を得ることになる4代目柳亭痴楽は、自らの落語家人生をこの柳枝の門下でスタートさせている。
出典
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