易建聯
広東サザンタイガース No.9 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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ポジション | PF | |||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 | "阿联" | |||||||||||||||||||||||||||||
中国語 | 易建聯 | |||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 中華人民共和国の旗 中華人民共和国 | |||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | (1987年10月27日) 1987年 10月27日(37歳) | |||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 広東省 鶴山市 | |||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 213cm (7 ft 0 in) | |||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 108kg (238 lb) | |||||||||||||||||||||||||||||
ウィングスパン | 230cm (7 ft 7 in) | |||||||||||||||||||||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
出身 | 中華人民共和国の旗 広東サザンタイガース | |||||||||||||||||||||||||||||
ドラフト | 2007年 1巡目 5位 MIL | |||||||||||||||||||||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||
2002-2007 2007-2008 2008-2010 2010-2011 2011 2012 2012 2012- |
広東サザンタイガース ミルウォーキー・バックス ミルウォーキー・バックス ニュージャージー・ネッツ ニュージャージー・ネッツ ワシントン・ウィザーズ ワシントン・ウィザーズ 広東サザンタイガース ダラス・マーベリックス →テキサス・レジェンズ (Dリーグ) 広東サザンタイガース | |||||||||||||||||||||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||
キャップ | 中華人民共和国の旗 中国 2004年-現在 | |||||||||||||||||||||||||||||
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易 建聯(えき けんれん、イー・ジャンリャン、Yi Jianlian、1987年 10月27日 - )は、中国のプロバスケットボール選手。広東省 鶴山市出身。ポジションはパワーフォワード。213cm、108kg。
NBA加入前
[編集 ]プロハンドボール選手である1m99cmの父親と1m72cmの母親の間に生まれた。母親は中国代表候補に選ばれたこともあった[1] 。 12歳の時にバスケットボールを始めて[2] 、13歳の時には1m93cmに成長し、3m51cmの高さに手が届いた。2002年に広東サザンタイガースに入団した[1] 。その年ニュージャージー州で行われたアディダスのABCDキャンプに参加している。 [2] 彼の名が初めて世界に知られたのはタイム誌の2003年8月24日号でタイトルはThe Next Yao Ming.(将来の姚明)だった。
易は中国プロバスケットボールリーグで2002-2003シーズンの新人王になり、チームを3回優勝に導いた[3] 。2005年2月には16本全てのシュートを成功させ、34得点をあげている[4] 。2006-07シーズン、チームは八一ロケッツに敗れて4連覇を逃した。これが彼の広東サザンタイガースでの最後のプレイとなった。
国際試合ではバスケットボールU-19世界選手権に出場した際、1試合平均18.9得点、11.5リバウンドと活躍しNBAスカウト達からの評価を上げた。2004年に行われたアテネオリンピックでバスケットボール中華人民共和国代表に選ばれ、2006年バスケットボール世界選手権では1試合平均6.2得点、5.7リバウンドをあげて[5] 中国チームのコーチのみでなく、他国のコーチからも評価された[6] 。
NBAドラフト
[編集 ]22歳になる2009年まで中国リーグがNBA加入を認めないのではないかと予想されていた[7] 。彼は2006年の初頭にその年のNBAドラフトにエントリーすることを表明したが、指名を受けることはなかった[8] 。
その後、2006年11月に広東サザンタイガースから彼が2007年のNBAドラフトにエントリーすることが発表された。その際、彼がシカゴ・ブルズかゴールデンステート・ウォリアーズのいずれかでプレイしたいと言っていることが報道された[9] [10] 。
そしてドラフトでミルウォーキー・バックスから指名を受けると、易はバックスとの契約をボイコットしようとした。両者の交渉は難航したが、8月29日に無事バックスと契約した。
NBAキャリア
[編集 ]ルーキーイーヤーとなった2007-08シーズンから先発として抜擢され、8.6得点5.2リバウンドの成績を残し、12月には月間新人賞を獲得した。11月9日のヒューストン・ロケッツ戦では中国出身のスター選手姚明との対決が実現。この試合は中国でもテレビ中継され、2億人が観戦したと言われている。 2008年オフにリチャード・ジェファーソンとのトレードでニュージャージー・ネッツに移籍した。しかし、NBAには定着することが出来ず、その後はワシントン・ウィザーズ、ダラス・マーベリックスなどを転々とした後、2012年に広東サザンタイガースに復帰。その後リーグの中心選手として活躍し、再びNBAのスカウト陣の注目を集めるようになった。そして2016年8月17日にロサンゼルス・レイカーズと契約を結び、5シーズン振りのNBA復帰となった[11] が、チームでの役割が自身の予想と合わなかったため、シーズン開幕前に自主退団した。その後広東サザンタイガースに復帰した。
年齢詐称疑惑
[編集 ]NBAの公式記録では生年月日を1987年 10月27日としているが、2008年12月に1984年生まれであると報道された[12] 。本人はこの問題についてコメントしていない。
その他
[編集 ]2012年ロンドンオリンピックの開会式では中国選手団の旗手を務めた。
脚注
[編集 ]関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- NBA.com-易建聯- (英語)
- Time magazine (2003年8月24日)
- Yi JianLian Central
- Yi Jianlian Chinese fans site 建联网 | 易建联
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2010年以降は香港・澳門・台湾など本土以外の出身者を含む。2016年・2018年は実施されず。 |
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