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日本基督教会同盟

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日本基督教会同盟(にほんきりすときょうかいどうめい)は、1912年(明治45年)に福音同盟に代わって結成されたプロテスタント超教派組織である。

1909年(明治42年)の宣教開始50年記念会の祝賀感謝会を通して各教派の協調機運が盛り上がってきたので、日本基督教会同盟が結成された。この同盟の創設には、諸教派の交流、協同事業の経営、全キリスト教の関心事を代表して処置にあたるという3つの明確な目的があった。

1910年(明治43年)にエキュメニカル運動の出発点になった英国のエディンバラ世界宣教大会に日本を代表して本多庸一井深梶之助原田助らが出席した。大会の議長であった、J・R・モット1913年(大正2年)来日して、世界宣教大会の日本継続委員会を形成して、ミッション(外国の宣教団体)と日本基督教会同盟の包括的連絡機関が形作られた。

このような、国際的な支援の下に井深梶之助、植村正久宮川経輝らを指導者として1913年(大正2年)から1916年(大正5年)まで全国協同伝道が行われた。

1922年(大正11年)5月に日本基督教連盟設立が宣言され、人材と組織は後身の日本基督教連盟に引き継がれる。この日本基督教連盟が1941年(昭和16年)6月の日本基督教団設立に大きく関わっていく。

加盟団体

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参考文献

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カトリック
安土桃山時代
江戸時代

慶長遣欧使節(1613年) - 禁教令(1612年・1613年) - 元和の大殉教(1622年) - 聖トマス西と15殉教者(1633年 - 1637年) - 八重山キリシタン事件(1634年) - 島原の乱(1637年) - 郡崩れ(1657年) - 豊後崩れ(1660年) - 濃尾崩れ(1661年) - 浦上一番崩れ(1790年) - 天草崩れ(1805年) - 浦上二番崩れ(1842年) - 浦上三番崩れ(1856年) - 隠れキリシタン - 転びキリシタン - 踏み絵 - 宗門改

幕末明治時代
大正昭和初期
戦後

ヨハネ・パウロ2世来日(1981年) - フランシスコ来日(2019年)

プロテスタント
(主流派)
幕末明治時代
大正昭和初期

三教会同(1912年) - 日本基督教会同盟(1912年) - 全国協同伝道(1914年 - 1917年) - 日本基督教連盟(1923年) - 神の国運動(1930年 - 1935年) - 神棚事件(1935年) - 基督教信徒大会(1940年) - 日本基督教団(1941年) - 感謝状(1941年) - 大東亜共栄圏への書翰(1944年)

戦後

NCC(1948年) - ラクーア伝道(1954年 - 1960年) - 戦責告白(1967年) - 反万博闘争(1970年) - 日本プロテスタント宣教150周年(2009年)

プロテスタント
(福音派)
明治時代

バックストン来日(1890年) - 松江バンド(1891年) - ちいさき群(1896年) - 中央福音伝道館(1901年) - 福音主義論争(1901年 - 1902年)

大正昭和初期

再臨運動(1918年) - ホーリネス・リバイバル(1919年・1930年) - 聖書信仰連盟(1933年) - ホーリネス分裂事件(1933年 - 1936年) - ホーリネス弾圧事件(1942年)

戦後
正教会
その他
キリスト教ポータル
キリスト教協力機関
初期
エキュメルカル派
福音派
聖霊派
カトリック教会
超教派
キリスト教ポータル


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