於勢升
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於勢升 おせ のぼる | |
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生年月日 | 1884年 9月 |
没年月日 | 不明 |
出身校 | 早稲田大学商科卒業 |
前職 | 実業家 |
配偶者 |
於勢しな 於勢琴野 |
宗教 | 浄土真宗 |
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於勢 升(おせ のぼる、旧姓・柴田、1884年(明治17年)9月 [1] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。城東土地社長[1] [2] 。大阪府会議員[2] [3] 。族籍は大阪府平民 [4] 。
人物
[編集 ]大阪府・柴田平學の三男[1] [2] [3] [4] 。於勢眞十郎の養子となり、1919年、家督を相続する[1] [4] 。1909年、早稲田大学商科を卒業[1] [3] [5] 。
会社の重役で、推されて大阪府参事会員である[1] 。三十二銀行、日ノ丸電線各取締役 [4] 、城東土地社長[1] 、同取締役[4] などをつとめる。宗教は仏教 [1] 、真宗 [2] 。趣味は碁、謡曲 [2] 。住所は大阪市大正区三軒家町2丁目[1] 。
家族・親族
[編集 ]- 於勢家
- 養父・眞十郎[1] (尼崎土地建物取締役[6] 、同監査役 [7] ) - 大阪市西区本田町通3丁目の綿帆布商於勢佐兵衛は眞十郎の弟である[4] 。住所は三軒家下之町[6] [7] 。
- 養母・カツ(1868年 - ?、大阪、飯田吉左衛門の長女)[1] [3] [4]
- 妻
- 長男・真輔(眞輔[2] 、1918年 - ?、薬学博士、大日本製薬取締役)[8]
- 二男[2]
- 長女[2]
- 二女[2]
- 親戚
- 柴田辰之進(内務技師)[9]
脚注
[編集 ]- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第13版 上』オ63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』大阪37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第9版』オ62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第7版』を44 - 45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月13日閲覧。
- ^ 『早稲田大学校友会会員名簿 大正4年11月調』得業生之部 大学部商科 明治四十二年卒業190頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月13日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第21版』大阪を、お之部59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月13日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第21回』兵庫県 上編699頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年7月15日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第25版 上』お91 - 92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月27日閲覧。
- ^ "帝国大学出身名鑑 - 国立国会図書館デジタルコレクション". dl.ndl.go.jp. 2021年11月25日閲覧。
参考文献
[編集 ]- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第21回』商業興信所、1913年。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 大正4年11月調』早稲田大学校友会、1915 - 1925年。
- 交詢社編『日本紳士録 第21版』交詢社、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
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