新田町
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曖昧さ回避
「新田町」のその他の用法については「新田町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
にったまち 新田町 | |
---|---|
反町薬師 | |
廃止日 | 2005年3月28日 |
廃止理由 |
新設合併 太田市、新田町、尾島町、藪塚本町 → 太田市 |
現在の自治体 | 太田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 群馬県 |
郡 | 新田郡 |
市町村コード | 10482-5 |
面積 | 38.22 km2 |
総人口 |
29,477人 (2005年3月1日) |
隣接自治体 | 太田市、伊勢崎市、新田郡 尾島町、藪塚本町 |
新田町役場 | |
所在地 |
〒370-0392 群馬県新田郡新田町大字金井29 (現・群馬県太田市新田金井町29) 太田市役所新田支所 (旧新田町役場) |
座標 | 北緯36度18分06秒 東経139度17分53秒 / 北緯36.30169度 東経139.29814度 / 36.30169; 139.29814 座標: 北緯36度18分06秒 東経139度17分53秒 / 北緯36.30169度 東経139.29814度 / 36.30169; 139.29814 |
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新田町(にったまち)は、群馬県南東部、新田郡にあった人口 約2万9千の町である。
2005年 3月28日に太田市、尾島町、藪塚本町との合併で太田市となった。太田市内の旧新田町地域では、旧地名の前に「新田」が付いている。
地理
[編集 ]隣接していた自治体
[編集 ]歴史
[編集 ]合併前の木崎町にあたる土地に日光例幣使街道木崎宿が存在し、明治時代初期まで遊女の街として栄えていた。当時の遊女は越後から売られてきた娘達であり、彼女らの歌った越後口説が地元民に伝染し、木崎に伝わる木崎音頭や八木節になったという。
沿革
[編集 ]- 1889年 4月1日 - 町村制施行に伴い、新田郡に木崎町・生品村・綿打村が誕生。
- 1956年 9月30日 - 木崎町・生品村・綿打村が合併し、新田町が発足。町名は、元生品村村長小川佐京の発案による。
- 2005年 3月28日 - 尾島町・藪塚本町・(旧)太田市と合併し、新たに太田市 となる。
行政
[編集 ]町役場
[編集 ]新田町の発足当初は旧木崎町役場庁舎を役場庁舎として用いた[1] 。
その後、庁舎を大字金井29番地に新築し、1977年8月14日に竣工、9月23日に移転した[2] 。旧役場庁舎は老朽化が激しかったため解体され、跡地は1978年から「町民駐車場」として用いられた[3] 。
合併前までの町長
[編集 ]- 山﨑 昭(やまざき あきら)(2005年3月28日 - 4月17日まで太田市長職務執行者を任務していた。)
経済
[編集 ]製造業
[編集 ]- 日野自動車 - 新田工場エンジン製造部(新田早川町)・新田工場(新田下田中町)
商業
[編集 ]- ジョイフル本田新田店 - 町の中央を走る群馬県道2号前橋館林線の沿線にある大型ホームセンター。資材館、ペットセンター、ガーデンセンター併設
- ニコモール新田 - 上記に隣接。1Fはジャパンミート、ダイソー、ミルクランド東毛を始めとした各テナントと、ケンタッキー・フライド・チキン、マクドナルド、ドトールコーヒーなどが入居するフードコート、2Fはジョイフル2と駐車場。
交通
[編集 ]鉄道
[編集 ]道路
[編集 ]通信
[編集 ]電話
[編集 ]- 新田電話交換局
- 新田金井電話交換局 - 野中送電線以北。1979年7月24日14時開局[4] 。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集 ]- 反町薬師
- 生品神社
- 新田文化会館・総合体育館「エアリスホール・エアリスアリーナ」
- 町民武道館 - 1983年10月8日利用開始[5] 。鉄骨造の平家建て、建物面積998.16平方メートル[5] 。建設費は1億3550万円で、整備費用には、日野自動車工業の工場が新田町に進出したことによる工業再配置促進費補助金が充てられた[6] 。合併後は新田武道館となる。
- 新田町立図書館 - 合併後は太田市立新田図書館となる。
衛生
[編集 ]保健センター
[編集 ]1982年4月1日、大字反町879番地にて保健センターの業務を開始した[7] 。当初の建物は鉄筋コンクリート造の平屋建て(626平方メートル)であった[7] 。総工費は8685万円[7] 。
出身有名人
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 企画室 編「業務開始は―― 引越しの日 9月23日(金)から」『広報新田』臨時号、新田町役場、1頁、1977年9月15日。
- ^ 企画室 編「役場庁舎移転」『広報新田』第136号、新田町役場、1頁、1977年9月5日。
- ^ 企画室 編「旧役場跡地を町民駐車場に」『広報新田』第145号、新田町役場、3頁、1978年6月5日。
- ^ 企画室 編「2,800件の電話番号が変る」『広報新田』第159号、新田町役場、4頁、1979年8月5日。
- ^ a b 企画室 編「町民武道館は10月8日オープン」『広報新田』第209号、新田町役場、2頁、1983年10月5日。
- ^ 企画室 編「町民武道館建設工事はじまる オープンは10月予定」『広報新田』第200号、新田町役場、3頁、1983年1月5日。
- ^ a b c 企画室 編「保健センター4月1日業務開始」『広報新田』第191号、新田町役場、1頁、1982年4月5日。
- ^ 山下清海 (2014)"斎藤 功先生のご逝去を悼む"地理学評論(日本地理学会).87 (4):351-352.(351ページより)