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新体詩抄

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(2021年10月)

新体詩抄(しんたいししょう)とは、外山正一(ヽ山仙士)・矢田部良吉(尚今居士)・井上哲次郎(巽軒居士)による新体詩集。3人の撰者による序文と、訳詩14編、創作詩5編を収める。出版社は「丸屋善七」(現・丸善)であり、1882年(明治15年)8月に初編が出版された[注釈 1] 。近代詩論の先駆け、日本で最初の近代詩集とされる。

それまで「詩」と言えば漢詩を指していた(「詩」の訓読みも〈からうた〉であった)ところ、西洋の「詩」に影響を受けて、日本語での詩表現を目指した。西洋の韻律を持ち込むために、七五調を採用した。

概説

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『新体詩抄』は、明治維新を経て欧化主義が鼓吹される時代において、西洋の詩を参考にして日本語による詩を作る詩歌の革新という明確な意識の下に、「詩集」という西洋式の形態を日本に初めて実現させたものである[2]

「初編」とあるように、第2編を出版する予定であったと考えられるが、第2編の出版はされていない[3] 。外山正一は、中村秋香、上田萬年阪正臣と共に『新体詩歌集』を1895年(明治28年)9月に出版している[3] [注釈 2]

竹内隆信(竹内節)によって『新体詩抄』を中心に編まれた『新体詩歌』が1882年(明治15年)10月10日に出版される[5] 。第5集まで発行されたこの『新体詩歌』がまた全国各地で発行されることにより、新体詩は全国に広められていった[5]

和歌集でも漢詩集でもない近代詩集の出現となる『新体詩抄』の刊行は、後の新体詩による詩集へ影響を及ぼし、湯浅吉郎の『十二の石塚』、北村透谷の『楚囚之詩』、宮崎湖処子の『湖処子詩集』、国木田独歩の『独歩吟』の序文・凡例などで『新体詩抄』に言及されている[6]

明治十七八年の交、外山、井上、谷田部等の大學教授熾んに新體詩の著作を唱導す、然れども今や人も詩も寂として文界に聞ゆる無し矣、獨り小生涯の詩人宮崎湖處子の詩歌其後を承けて最も今日の文界に行はる。 — 「凡例」(編者識)、『湖処子詩集』(右文社、1893年〈明治26年〉)[7]
斯る時、井上外山兩博士の主唱編輯にかゝはる「新體詩抄」出づ。嘲笑は四方より起りき。而も此覺束なき小册子は草間をくゞりて流るる水の如く、何時の間にか山村の校舍にまで普及し、『われは官軍わが敵は』てふ沒趣味の軍歌すら到る處の小學校生徒をして足並み揃へて高唱せしめき。又た其のグレーの「チヤルチヤード」の飜譯の如きは日本に珍らしき清爽高潔なる情想を以てして幾多の少年に吹き込みたり。斯くて文界の長老等が思ひもかけぬ感化を此小册子が全國の少年に及ぼしたる事は、當時一少年なりし余の如き者ならでは知り難き現象なりとす。夫れ斯の如くなりしと雖も爾來文學界は新體詩なる者を决して歡迎せざりき。こは皆な世人の知る處。文界尚ほ新體詩を眼中に入れざる輩少なからざるを以て知るべし。 — 『独歩吟』「序」(著者)、『抒情詩』(民友社、1897年〈明治30年〉)[8]

また、西洋の詩を移植しようとする試みへの反感、詩の表現の拙劣さへの批評、新体詩そのものへの批判など、様々な批判も現れた[9]

構成

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  • 『新体詩抄序』(井上哲次郎)
  • 『新体詩抄序』(矢田部良吉)
  • 『新体詩抄序』(外山正一)
  • 『凡例』(編者)
  • 目次
  • 『ブルウムフヰールド氏兵士帰郷の詩』(ヽ山仙士)
  • 『カムプベル氏英国海軍の詩』(尚今居士)
  • 『テニソン氏軽騎隊進撃ノ詩』(ヽ山仙士)
  • 『グレー氏墳上感懐の詩』(尚今居士)
  • 『ロングフェルロー氏人生の詩』(ヽ山仙士)
  • 『玉の緒の歌(一名人生の詩)』(巽軒居士)
  • 『テニソン氏船将の詩(英国海軍の古譚)』(尚今居士)
  • 『抜刀隊』(ヽ山仙士)
  • 『勧学の歌』(尚今居士)
  • 『チヤールス、キングスレー氏悲歌』(ヽ山仙士)
  • 『鎌倉の大仏に詣でゝ感あり』(尚今居士)
  • 『高僧ウルゼーの詩』(ヽ山仙士)
  • 『シャール、ドレアン氏春の詩』(尚今居士)
  • 『社会学の原理に題す』(ヽ山仙士)
  • 『ロングフェロー氏児童の詩』(尚今居士)
  • 『シェーキスピール氏ヘンリー第四世中の一段』(ヽ山仙士)
  • 『シェークスピール氏ハムレッツト中の一段』(尚今居士)
  • 『シェーキスピール氏ハムレツト中の一段』(ヽ山仙士)
  • 『春夏秋冬』(尚今居士)
  • 『跋[注釈 3] 』(水屋主人)
  • 正誤[注釈 4]
  • 奥付

書誌情報

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脚注

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注釈

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  1. ^ 7月に板権免許を受けており、本の扉には「明治十五年七月刊行」と記載されているが、出版広告文に8月16日、奥付に8月出版と記されたように、実際には8月に出版された[1]
  2. ^ 外山は、序文の中で自身が新体詩という文学ジャンルを確立したことの自負と自信を記している[4]
  3. ^ 実際には表題は附せられていない。
  4. ^ 再版に正誤はない[10]

出典

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  1. ^ 西田 1994, p. 33.
  2. ^ 西田 1994, p. 12.
  3. ^ a b 西田 1994, p. 433.
  4. ^ 西田 1994, p. 436.
  5. ^ a b 西田 1994, p. 425.
  6. ^ 西田 1994, p. 438.
  7. ^ 湖処子詩集 - 国文学研究資料館近代書誌・近代画像データベース
  8. ^ 独歩吟 - 国文学研究資料館近代書誌・近代画像データベース
  9. ^ 西田 1994, p. 442.
  10. ^ 西田 1994, p. 421.

参考文献

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外部リンク

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ウィキソースに新体詩抄 の原文があります。
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