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斛律皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
斛律皇后
北斉の皇后
在位 565年4月 - 572年8月

配偶者 後主高緯
  元仁
氏族 斛律氏(勅勒部)
父親 斛律光
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斛律皇后(こくりつこうごう、生没年不詳)は、中国北斉の後主高緯の1人目の皇后斛律光の娘。朔州 勅勒部の出身。

経歴

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高緯にとついで皇太子妃となった。565年4月、高緯が即位すると、皇后に立てられた[1] [2] [3] 572年1月、娘を生んだが、高緯は斛律光を喜ばせようとして、男子を生んだといつわり、このために大赦をおこなった[4] [5] [6] 。7月に父の斛律光が処刑されると、8月に皇后は廃位されて庶人に落とされ、別宮に幽閉された[7] [8] [9] 。後に尼となった。北斉が滅ぶと、開府儀同三司の元仁(元景安の子)の妻となった[4] [5] [10]

脚注

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  1. ^ 氣賀澤 2021, p. 123.
  2. ^ 北斉書 1972, p. 94.
  3. ^ 北史 1974, p. 286.
  4. ^ a b 氣賀澤 2021, p. 152.
  5. ^ a b 北斉書 1972, p. 127.
  6. ^ 北史 1974, pp. 523–524.
  7. ^ 氣賀澤 2021, p. 133.
  8. ^ 北斉書 1972, p. 105.
  9. ^ 北史 1974, pp. 293–294.
  10. ^ 北史 1974, p. 524.

伝記資料

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参考文献

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