成瀬正勝 (旗本)
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成瀬 正勝(なるせ まさかつ、慶長12年(1607年) - 延宝4年5月4日(1676年 6月15日))は、江戸幕府 旗本。父は成瀬正一。母は倉鹿野氏(寛政譜は甚五兵衛某の姉)。致仕後休心と号す。兄に犬山城主の成瀬正成、加賀藩 家老 成瀬吉正、小姓組番頭の成瀬正武、弟に尾張藩士の成瀬正則。別名正芳。通称は吉右衛門。室は水野守信の娘。
元和2年(1616年)父正一の家督を継ぎ、吉右衛門を名乗り、小姓組番士となる。成瀬吉右衛門家の祖で、3代将軍徳川家光の旗本として仕え、寛永3年(1626年)9月、同11年7月の二度の上洛の折りに供奉している。承応2年(1653年)10月16日銕炮頭となり、12月28日布衣を許される。寛文5年(1665年)2月9日に職を辞し、延宝2年12月3日致仕し養老料300俵を賜った。跡は養子の成瀬正章が継いだ。延宝4年没し、浅草の本願寺に葬られた。