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式守錦太夫 (10代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
10代式守錦太夫
10th Shikimori Kindayū
基礎情報
行司名 木村忠雄 → 3代式守慎之助 → 10代式守錦太夫
本名 なかじま ただお
中島 忠雄
生年月日 (1940年08月06日) 1940年 8月6日
没年月日 (2007年02月10日) 2007年 2月10日(66歳没)
出身 日本の旗 日本佐賀県 神埼市
所属部屋 二所ノ関部屋
データ
現在の階級 引退
最高位 三役格(式守錦太夫)
初土俵 1957年11月
幕内格 1991年1月
三役格 2003年1月
引退 2005年7月
備考

10代式守錦太夫(じゅうだい しきもりきんだゆう、1940年 8月6日 - 2007年 2月10日)は大相撲の元三役行司二所ノ関部屋所属。

人物

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佐賀県出身。本名:中島忠雄。

1957年 11月に木村忠雄の名で初土俵。序ノ口格で14代木村玉光 (のちの25代木村庄之助) の付人になった。

裁きは正確であったが、幕内格最上位の時に一度だけ、不運が重なり、力士の下敷きになり、骨折・休場したことがある。

2003年1月以降は2005年7月の停年まで三役格の序列3位(上位5人目)だったが、2003年3月場所は木村咸喬、2004年7月場所は木村光之助、2004年11月場所は木村朝之助の休場により上位4人目の出場で三役力士を裁いている。

2005年5月場所初日の琴欧州-垣添戦で土俵下に転落、装束が破れたため一番のみで引き揚げた。

最終場所の出場が危ぶまれたが無事に出場した。

なお、裁き中の掛け声は、30代式守伊之助と似ている。

また、勝ち名乗りで力士の名前を呼び上げる際は、彼独特のリズムを持っていた。

2007年2月10日、急性心不全のため死去。66歳没。

履歴

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脚注

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