廉東均
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曖昧さ回避
この項目では、韓国のプロボクサーについて説明しています。韓国のサッカー選手(元同国代表)については「廉東均 (サッカー選手) (朝鮮語版)」をご覧ください。
1976年、世界王座を獲得した日の廉 | |
基本情報 | |
---|---|
本名 | 廉 東均 |
階級 | スーパーバンタム級 |
身長 | 164cm |
国籍 | 大韓民国の旗 大韓民国 |
誕生日 | (1950年11月10日) 1950年 11月10日(73歳) |
出身地 | 忠清北道 沃川郡 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 66 |
勝ち | 53 |
KO勝ち | 21 |
敗け | 5 |
引き分け | 8 |
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廉 東均(ヨム・ドンギュン、염동균、Dong-Kyun Yum、1950年 11月10日 - )は、韓国のプロボクサー。忠清北道 沃川郡出身。元WBC世界スーパーバンタム級王者。本貫は坡州廉氏 [1] 。
来歴
[編集 ]1970年3月7日、韓国でプロデビュー。
1971年10月20日、16戦目で韓国スーパーバンタム級王座を獲得した。同王座は12度の防衛に成功した。
1974年3月17日、39戦目でOBF東洋スーパーバンタム級王者張奎喆に挑戦し、12回判定勝ちで王座を獲得した。同王座は4度の防衛に成功した(うち、日本人相手に3度防衛)。
1976年8月1日、54戦目で世界初挑戦。初代WBC世界スーパーバンタム級王者リゴベルト・リアスコに挑戦し、15回判定負けで王座獲得ならず。
1976年11月24日、リアスコから王座を奪取した王者ロイヤル小林に挑戦し、15回判定勝ちで王座を獲得した。
1977年5月21日、2度目の防衛戦でウイルフレド・ゴメスと対戦し、12回KO負けで王座から陥落した。
1977年6月27日、再起戦で洪秀煥と対戦し、12回判定負け。1980年12月19日、洪秀煥と再戦し、10回判定ドロー。この試合を最後に引退した。
獲得タイトル
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ "(21) 파주 염씨 -고려 땐 명문거족으로 이름 떨쳐" (朝鮮語). 중앙일보 (1982年6月26日). 2022年8月19日閲覧。
関連項目
[編集 ]外部リンク
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