コンテンツにスキップ
Wikipedia

庭田重資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
庭田 重資
時代 鎌倉時代末期-南北朝時代
生誕 嘉元3年(1306年)
死没 元中6年/康応元年8月13日(1389年 9月3日)
官位 正二位権大納言参議
氏族 庭田家
父母 父:庭田茂賢
資子田向資蔭経有
テンプレートを表示

庭田 重資 (にわた しげすけ) は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿

非参議庭田茂賢の子。官位は正二位権大納言庭田家3代。

経歴

[編集 ]
この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"庭田重資" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2023年10月)

左近衛中将蔵人頭などを歴任し、建武4年/延元2年(1337年)参議延文4年/正平14年(1359年)正二位権大納言

娘の源資子崇光天皇後宮にはいり、初代伏見宮栄仁親王を生んだ。これ以降、代々の庭田家の女子は皇室及び伏見宮家に仕え、嗣子をもうけることとなる。

皇族との関わり

[編集 ]
この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"庭田重資" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2023年10月)

庭田家は、皇族との関わりが深い。というのも、先述の資子に続いて、栄仁親王の息子の貞成親王と結婚し、後花園天皇伏見宮貞常親王(旧皇族11宮家の祖先)を産んだ幸子庭田経有の娘である。また、後土御門天皇(後花園天皇の子)と結婚し、後柏原天皇を産んだ朝子庭田長賢の娘で幸子は大叔母にあたる。現在の皇族にもその系譜は続いている。

系譜

[編集 ]

参考文献

[編集 ]
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2023年10月)

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /