平岩正広
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天文9年(1540年)または天文12年(1543年) |
死没 | 慶長17年5月1日(1612年 5月31日) |
別名 | 親正、五左衛門、金右衛門 |
戒名 | 道雪 |
墓所 | 愛知県 岡崎市の妙源寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康、平岩親吉、徳川義直 |
氏族 | 平岩氏 |
父母 | 平岩親重、天野貞親娘 |
兄弟 |
正広、親吉、康重、康長、 山田半右衛門室、平岩真野左衛門室、 渡辺守綱室、山田内右衛門室 |
子 | 正当 |
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平岩 正広(ひらいわ まさひろ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。兄弟の平岩親吉と共に徳川家康に仕えた。
生涯
[編集 ]永禄3年(1560年)桶狭間の戦いに従軍し、丸根砦攻めに戦功があった。その後、三河一向一揆鎮圧、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、高天神城攻めなどを転戦。甲州征伐に従軍後、家督を子・正当に譲り、以後は兄弟の親吉の配下となる。親吉が徳川義直に属すると、自身も義直に仕えた。
子・正当は江戸幕府直臣なり、旗本として平岩氏は存続した。享年には70歳と73歳の2説があり、いずれを採るかによって親吉との年齢の高低が変わる。
出典
[編集 ]- 「寛政重修諸家譜」巻第1177