コンテンツにスキップ
Wikipedia

平岩正広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
平岩正広
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文9年(1540年)または天文12年(1543年)
死没 慶長17年5月1日(1612年 5月31日)
別名 親正、五左衛門、金右衛門
戒名 道雪
墓所 愛知県 岡崎市妙源寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康平岩親吉徳川義直
氏族 平岩氏
父母 平岩親重天野貞親
兄弟 正広親吉康重康長
山田半右衛門室、平岩真野左衛門室、
渡辺守綱室、山田内右衛門室
正当
テンプレートを表示

平岩 正広(ひらいわ まさひろ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。兄弟の平岩親吉と共に徳川家康に仕えた。

生涯

[編集 ]

永禄3年(1560年)桶狭間の戦いに従軍し、丸根砦攻めに戦功があった。その後、三河一向一揆鎮圧、三方ヶ原の戦い長篠の戦い高天神城攻めなどを転戦。甲州征伐に従軍後、家督を子・正当に譲り、以後は兄弟の親吉の配下となる。親吉が徳川義直に属すると、自身も義直に仕えた。

子・正当は江戸幕府直臣なり、旗本として平岩氏は存続した。享年には70歳と73歳の2説があり、いずれを採るかによって親吉との年齢の高低が変わる。

出典

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /