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常森寿子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つねもり としこ
常森 寿子
出生名 江幡 寿子
生誕 (1942年01月02日) 1942年 1月2日(82歳)
出身地 満洲国の旗 満洲国
学歴 東京芸術大学
サンタ・チェチーリア音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 声楽家(ソプラノ)
オペラ歌手
音楽教育者

常森 寿子(つねもり としこ、1942年(昭和17年)1月2日 - )は、日本声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。旧姓は江幡。

経歴

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満洲国(中国東北地方)に生まれる。医師の父は応召して戦死し、1945年(昭和20年)母と二人で広島県 安芸津町(現在の東広島市)に引き揚げ、さらに呉市に移った[1] 。5歳からピアノを習いピアニストを目指したが、中学生のとき阿部幸次の助言で声楽に転向し、1964年(昭和39年)に東京芸術大学声楽科を卒業。阿部幸次、浅野千鶴子、ジョルジュ・ファパレット、ロート・マーリングに師事[2] 1965年(昭和40年)にバリトン歌手の常森闘志と結婚した[3]

1966年(昭和41年)1月7,8,10日に藤原歌劇団ビゼーカルメン』ミカエラ役でデビューした[4] 。その後、マスネマノン』プセット、NHK放送オペラ『暗い鏡』などに出演。1969年(昭和44年)夫とともにローマサンタ・チェチーリア音楽院シエナミラノスイスルガーノに留学した[2]

1971年(昭和46年)帰国後は、日本を代表するコロラトゥーラ・ソプラノとして活躍した。モーツァルト『フィガロの結婚』スザンナや『ドン・ジョヴァンニ』ツェルリーナ等のオペラやリサイタル、コンサートに出演し、NHK交響楽団日本フィルハーモニー交響楽団東京フィルハーモニー交響楽団九州交響楽団札幌交響楽団、その他の全国の主要オーケストラと共演。第9交響曲のソリストは150回を超える[5] という。

1985年(昭和60年)2月1,2,3日の二期会オペラ公演モーツァルト『魔笛夜の女王を演じた[4] 後は、音楽教育者として後進の育成に注力し、京都市立芸術大学 教授を務める一方で、1989年(平成元年)に出田敬三作曲のオペラ『細川ガラシア』ガラシャ夫人を演じている[5] 。また、1997年(平成9年)11月30日の京都市立芸術大学音楽学部学外コンサート オペラハイライト ドリーブラクメウェーバー魔弾の射手』モーツァルト『魔笛』フンパーディンクヘンゼルとグレーテル』では指揮も担当した[4]

その後武庫川女子大学 講師を経て、2020年(令和2年)現在は平成音楽大学特任教授を務めている[5]

受賞歴

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ディスコグラフィー

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テレビ出演

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映画

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  • 1987年(昭和62年)制作 東宝映画『光る女』で「歌を歌えなくなったオペラ歌手」(秋吉満ちる)の吹き替えで歌を担当している[8]

私生活

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夫は東京芸術大学の同級生であり、1978年(昭和53年)時点で6歳の子供がいた。常森は「(夫は)実質的な私の先生。私が忙しい時は家事も(してくれる)。ウフフ」とインタビューで答えている。オペラ歌手としては小柄だがバストは豊かで「上半身は自信あるんだけどな」と微笑んだ[1]

脚注

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  1. ^ a b 中日新聞』1978年3月5日7面「この人」コーナー「鳥井音楽賞を受ける常森寿子 女性では初めての"栄誉"」
  2. ^ a b "Profile17". アルベルネ・ユーゲント・コール. 2020年3月14日閲覧。
  3. ^ 『音楽の友』1971年12月号 139頁「日本の音楽家訪問 常森寿子さん」(長谷川武久) 音楽之友社
  4. ^ a b c "検索結果 - 常森寿子 | 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター". opera.tosei-showa-music.ac.jp. 2020年8月30日閲覧。
  5. ^ a b c "常森寿子". 平成音楽大学. 2020年8月30日閲覧。
  6. ^ Wikipedia「ジロー・オペラ賞」の項目参照
  7. ^ "芸術祭賞一覧s51-s60". 文化庁. 2020年12月13日閲覧。
  8. ^ "光る女 : 作品情報". 映画.com. 2020年8月30日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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