川上凉花
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川上 凉花(かわかみ りょうか、1887年9月 - 1921年 5月5日)は明治・大正期の日本の画家。本名は川上乙次郎[1] 。
略歴
[編集 ]東京府 東京市 本郷区本郷(現・東京都 文京区 本郷)に生まれる。1906年に太平洋画会研究所に入る。1907年に岸田劉生や川村信雄とともに紫紅会を結成し、美術回覧雑誌『紫紅』の編輯にたずさわる[2] 。1910年に川村信雄・萬鐵五郎・三並花弟・松村巽らと雑草会を結成し、本郷教会で展覧会を催す[3] 。1911年、二六新報の美術記者となる。1912年、フュウザン会に出品。1914年から中野で大森商二(熊本県 山鹿町出身、東大中退の洋画家[4] )と自炊生活をはじめ、この年から木炭による風景画を描く。1915年、東中野にアトリエを構え、越後・佐渡に旅行する。1918年に日本美術家協会を結成し、水墨による日本画を描く。
脚注
[編集 ]- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク)
- ^ 鈴木信太郎『美術の足音 今は昔』博文館新社、1987年、27頁。
- ^ 鈴木信太郎『美術の足音 今は昔』博文館新社、1987年、32頁。
- ^ 大森商二作品太平洋美術会
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