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岩田潤

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(2013年9月)

岩田 潤(いわた じゅん、1964年 2月9日 - )は、日本のテレビ プロデューサー朝日放送テレビ取締役。

朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)でプロデューサー、編成局長、制作局長、BS朝日常務執行役員、朝日放送ラジオ(ABCラジオ)代表取締役社長などを歴任した。2024年4月1日付で、朝日放送テレビ取締役に就任。

来歴・人物

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京都府の出身で、京都府立乙訓高等学校卒業、関西学院大学 社会学部へ進学。大学在学中は関西学院グリークラブ [1] に所属していた。

大学卒業後の1986年に朝日放送(旧法人で当時はラジオ・テレビ兼営局)へ入社すると、制作技術部でドラマワイドショー報道スポーツなどのカメラマンを経験。1993年 テレビ制作部に異動すると、『探偵!ナイトスクープ』でチーフディレクタープロデューサーも務めた。

1999年から東京支社の制作部へ異動。『世界痛快伝説!!運命のダダダダーン!』『大改造!!劇的ビフォーアフター』『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』といった番組を立ち上げ、全国ネットバラエティ番組スペシャル番組のプロデューサー・チーフプロデューサーとして活動する。後に、本社のテレビ制作部へ戻ると、『探偵!ナイトスクープ』のプロデューサーに復帰したほか、『きになるオセロ』のプロデューサーを兼務した後、『今ちゃんの「実は...」』を立ち上げた。

2008年には編成局企画戦略部員を兼務していたが、同年11月から2010年4月まで東京支社制作部長、2010年4月1日から2013年1月31日まで編成局テレビ編成部長、2013年2月1日から2015年12月31日まで編成局長(局次長待遇)、2016年1月1日から2018年1月31日まで制作局長を歴任した。

2018年2月1日にBS朝日に出向。常務執行役員編成制作局専任局長(制作担当)を務めるかたわら、BS朝日制作番組のチーフプロデューサーなども務めた。

2019年9月2日付で、朝日放送ラジオ(旧法人からラジオ放送事業とラジオ放送免許を承継したグループ会社)の代表取締役社長に就任[2] 。就任後の2021年には、1977年4月から『おはようパーソナリティ道上洋三です』のパーソナリティを務めていた道上洋三(朝日放送テレビアナウンサー)の脳梗塞発症(2021年9月11日)を受けて、道上をリハビリに専念させるべく2022年3月末で同番組のパーソナリティを卒業させることを決めた[3] 2024年3月31日付で同職を退任。

2024年4月1日付で、朝日放送テレビ取締役に就任。

主な担当番組

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ABCテレビ

BS朝日

外部リンク

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脚注

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  1. ^ 岩田の朝日放送ラジオ社長在任中、『おはようパーソナリティ古川昌希です』に2度ゲスト出演(2023年9月22日、2024年2月2日)。
  2. ^ "朝日放送ラジオ人事(9月2日付)". アサヒ・コム. 朝日新聞社. (2019年8月3日). https://www.asahi.com/articles/DA3S14125412.html 2019年8月3日閲覧。 
  3. ^ "道上洋三アナ「おはようパーソナリティ」卒業「つらい」朝日放送ラジオ社長". 日刊スポーツ . (2022年1月18日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201180000565.html 2022年1月18日閲覧。 
歴代社長1
歴代会長12
歴代朝日放送テレビ社長
歴代朝日放送テレビ会長
歴代朝日放送ラジオ社長
1社名は、2018年3月までは朝日放送。2018年4月より朝日放送グループホールディングス。
21963年5月〜1971年5月、1974年9月〜1979年6月、1990年10月〜1995年6月、1999年6月〜2002年6月、2005年6月〜2011年6月、2013年4月〜2018年3月、2019年4月〜2024年9月は会長職空席。
31955年5月〜1959年5月に旧OTV 大阪テレビ放送の社長を務めた。存在していたOTVの4年間の間に社長を歴任したのは鈴木だけである。

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