岡村喜万太
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岡村 喜万太(喜萬太、おかむら きまた、1860年 9月18日(万延元年8月4日 [1] ) - 1921年(大正10年)9月3日 [2] )は、明治から大正時代の政治家。実業家。大地主 [1] 。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集 ]肥後国 玉名郡 腹赤村(熊本県玉名郡腹赤村、腹栄村を経て現長洲町)出身[1] 。岡村嘉藤太の長男として生まれ、1883年(明治16年)10月に家督を相続する[1] 。
農業を営み、腹赤貯蓄合名会社代表社員を務めた[1] 。ほか1896年(明治29年)以降、熊本県会議員、玉名郡会議員を歴任した[2] 。
1901年(明治34年)に熊本県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年9月16日から[3] 1904年(明治37年)9月28日まで務めた[2] 。
親族
[編集 ]脚注
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参考文献
[編集 ]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 。