岡村勝実
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岡村 勝実(勝實、おかむら かつみ、1893年(明治26年)1月31日[1] - 1981年(昭和56年)10月5日[1] [2] )は、日本の陸軍 軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集 ]福岡県 [1] [3] 福岡市 [2] 出身。1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業[1] [4] 。同年12月、歩兵 少尉に任官した[4] 。
1930年(昭和5年)8月、歩兵少佐に進級[5] 。1935年(昭和10年)8月、歩兵中佐に進んだ[5] 。1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進し歩兵第66連隊長に発令され日中戦争に出征した[1] [3] 。1939年(昭和14年)6月、北支那方面軍高級副官に転じた[1] [3] 。
1940年(昭和15年)8月、陸軍戸山学校幹事に発令され帰国[3] 。1942年(昭和17年)5月、留守第20師団兵務部長に転じた[3] 。1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進級し、同年6月、歩兵第70旅団長に発令され[3] 、満州に赴任し林口に駐屯[1] 。1945年(昭和20年)3月、第7独立警備隊司令官に転じ[3] 、保定で終戦を迎えた[1] 。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6] 。
戦後、福岡偕行会名誉会長を務めた[2] 。1981年10月、老衰のため福岡市中央区地行の自宅で死去した[2] 。
脚注
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和11年9月1日調』偕行社、1936年。