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山崎大地

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曖昧さ回避 この項目では、実業家について説明しています。サッカー選手については「山﨑大地」をご覧ください。
山崎 大地

山崎 大地(やまざき たいち、1972年 9月8日 - )は神奈川県 鎌倉市出身[1] 実業家である。

株式会社ASTRAX代表取締役[2] 。 有限会社国際宇宙サービス代表取締役[2] 。合同会社ASTRAX INTERNATIONAL代表社員。千葉県柏市男女共同参画推進審議委員[2] ヴァージン・ギャラクティック社の宇宙船スペースシップツー、スペースパースペクティブ社の宇宙船ネプチューン、及びWorld View Enterprises (英語版)社の宇宙船エクスプローラーに搭乗することになっている民間宇宙飛行士[2] 。無重力飛行士。潜水士。小型船舶操縦士(1級)。国内自動車競技ドライバー(A級)、国連世界宇宙週間ナショナルコーディネーター[2] 。米国宇宙学会日本支部長[2] 。航空宇宙エンジニア。

経歴

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  • 1972年9月 - 神奈川県 鎌倉市に生まれる[3]
  • 1997年3月 - 東海大学工学部航空宇宙学科卒業[3]
  • 1997年4月 - 三菱スペース・ソフトウエア株式会社に入社[1] 国際宇宙ステーションの運用管制官(熱・環境制御系管制官)として「きぼう」の開発及び運用準備に従事[4]
  • 1999年12月 - NASAにおける国際宇宙ステーションの実運用訓練生に選ばれ、2000年1月よりジョンソン宇宙センターにて訓練に従事[5]
  • 2000年5月 - 国際宇宙ステーション保全補給フライト(2A.2a)(STS-101ミッション)に従事[6]
  • 2000年7月 - NASAにおける国際宇宙ステーション実運用訓練修了
  • 2000年10月 - 若田宇宙飛行士による国際宇宙ステーション組立てフライト(3A)(STS-92ミッション)に従事[6]
  • 2000年12月 - 女性宇宙飛行士候補者角野直子(現山崎直子)と結婚[3] [5]
  • 2001年2月 - 国際宇宙ステーション米国実験モジュール組立てフライト(5A)(STS-98ミッション)に従事[6]
  • 2002年 - 長女の誕生に際し、産休及び育児休暇を取得[5]
  • 2004年6月 - 家族を支えるため同社を退職し、「専業主夫」として育児や介護などに専念[1]
  • 2005年1月 - 有限会社国際宇宙サービス社を設立。[5] 宇宙旅行を扱う日本初の専門会社となる。
  • 2006年5月 - 宇宙飛行事業開始
  • 2006年6月7日 - 米国の民間宇宙船開発会社ロケットプレーン・キスラーと事業提携を行い、2008年に民間宇宙船ロケットプレーンXP」に搭乗し有人宇宙飛行(弾道飛行)を行うことを、国際宇宙サービス社最高経営責任者として発表した(ロケットプレーン・キスラーは2010年にChapter 7の適用を受け倒産[7] )[8]
  • 2006年10月 - 株式会社アストラックスミッションサービスを設立[5]
  • 2007年2月 - 「ヤングベンチャービジネスプランコンペいばらき」で茨城県知事より奨励賞受賞[9] [10]
  • 2007年3月 - 中小企業基盤整備機構主催の「ドリームゲートグランプリ2007」にて、グランプリファイナリストとなる[1]
  • 2007年 - 月面開拓事業開始
  • 2008年 - 米国 永住権を取得[5]
  • 2009年7月 - JAXA非常勤招聘職員として国際宇宙ステーション組立てフライト(2J/A)(STS-127ミッション)に従事[6]
  • 2010年 - スペースシャトルディスカバリー号によるSTS-131ミッションを宇宙飛行士の家族として支えた[2]
  • 2012年5月 - 無重力飛行事業開始[2]
  • 2012年7月 - イギリスのヴァージングループ会長のリチャード・ブランソンが直接保証人となり、ヴァージン・ギャラクティック社の宇宙船スペースシップツーに搭乗する宇宙飛行士としての契約を締結[2]
  • 2013年7月 - アメリカにて無重力飛行訓練修了。世界の宇宙旅行申込者のなかから選ばれる12名のひとりとして選ばれ、カリブ海にあるヴァージングループにリチャードブランソン会長の自宅(ネッカーアイランド)に招待を受ける。
  • 2014年 - XCORエアロスペース社の宇宙船「リンクス」による宇宙飛行契約締結。ワールドビューエンタープライズ社の宇宙船「ボイジャー」による宇宙飛行契約締結
  • 2014年10月 - さいたま市ニュービジネス大賞審査員特別賞受賞。アメリカのNASTARにて加重力訓練修了
  • 2015年 アメリカにてアクロバット飛行機操縦訓練修了。オランダにてL-39ジェット戦闘機操縦訓練修了。オランダのTNOにて加重力訓練修了。無重力飛行者殿堂入り(日本初)
  • 2017年 - XCORエアロスペース社の宇宙船リンクスに搭乗し、アメリカ カリフォルニア州のモハヴェスペースポートにて宇宙飛行を行う予定(XCORエアロスペースは2017年にChapter 7の適用を受け倒産[11] )[2]
  • 2017年 - 国連世界宇宙週間ナショナルコーディネーターに就任。米国宇宙学会日本支部長に就任。民間宇宙事業創出教育機関ASTRAX ACADEMY設立
  • 2018年 - 神奈川県鎌倉市に民間宇宙船運用管制センター完成、ワールドビューエンタープライズの宇宙船ボイジャー教育訓練シミュレーター完成
  • 2019年 - アメリカのワシントンDCで開催された世界最大の国際宇宙会議にて、2本の国際論文を発表
  • 2020年2月 - 国連宇宙空間平和利用委員会科学技術会議に出席(オーストリア・ウィーン)
  • 2020年3月 - ワシントンDCでの世界最大の人工衛星イベント「サテライト2020」にて、国連世界宇宙週間事務局よりスペースXのCEOイーロンマスク氏などとともに表彰される。
  • 2020年4月 - 東久邇宮記念賞受賞
  • 2020年 - コロナ禍でオンラインで開催された国際宇宙会議にて8本の国際論文を発表(共著を含めると14本発表)
  • 2020年11月 - 東久邇宮文化褒賞受賞
  • 2021年7月 - 東久邇宮平和賞受賞
  • 2021年7月 - 茨城県猿島郡に民間宇宙事業創造教育訓練センター開設。スペースX社宇宙船クルードラゴン教育訓練シミュレーター完成
  • 2021年10月 - アラブ首長国連邦ドバイで開催された国際宇宙会議にて17本の国際論文を発表(共著を含めると23本発表)
  • 2022年6月 - ヴァージンギャラクティック社の宇宙船ユニティ教育訓練シミュレーター完成。ブルーオリジン社宇宙船ニューシェパード教育訓練シミュレーター完成
  • 2022年9月 - フランスのパリで開催された国際宇宙会議にて12本の国際論文を発表(共著を含めると27本発表)
  • 2023年2月 - 千葉県に民間宇宙事業創造教育研究開発訓練センター開設。無重力飛行機教育訓練シミュレーター完成
  • 2023年 - アゼルバイジャンバクーで開催される国際宇宙会議にて7本の国際論文を発表予定(共著を含めると19本発表予定)
  • 2024年 - ヴァージン・ギャラクティック社の宇宙船スペースシップツーに搭乗し、アメリカ ニューメキシコ州スペースポートアメリカにて宇宙飛行を行う予定[2]
  • 2024年 - スペースパースペクティブ社の宇宙船ネプチューンに搭乗し、アメリカ フロリダ州にて宇宙飛行を行う予定
  • 2024年 - ワールドビューエンタープライズ社の宇宙船エクスプローラーに搭乗し、アメリカ アリゾナ州にて宇宙飛行を行う予定[2]

人物

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父親は大手電機メーカーのエンジニアであった[1] 。小学生のとき、スペースシャトルプラモデルを作り、宇宙船に興味を持つ[12]

中学校に入りボーイスカウトとして渡米したワシントンD.C.にあるスミソニアン航空博物館で、実物のアポロ宇宙船スペースシャトルの映像を見て感動するが、その直後にチャレンジャー号爆発事故を見てショックを受ける[12] 。また、自作した天体望遠鏡土星の観測を行い、いつか宇宙に行きたいと考えるようになる[1]

東海大学 工学部航空宇宙学科に入学、映画「アポロ13」を見て感動し宇宙船の運用管制官になることを決意する[13]

国際宇宙ステーションの運用などを担当する三菱スペース・ソフトウエアに就職後、きぼうのフライトコントローラーとなった[4]

2000年には、米国航空宇宙局(NASA)で行われた国際宇宙ステーション運用管制官実運用訓練生に選ばれ渡米。同年角野直子(山崎直子)と結婚した[14] 。その後、米国航空宇宙局(NASA)にて数々の国際宇宙ステーション建設ミッションに従事した。

2002年に長女が誕生した後、2003年のコロンビア号空中分解事故が起きたため、妻・直子はソユーズ宇宙船のフライトエンジニア資格取得訓練のためロシアに長期滞在することとなり[15] 、父子家庭が続くこととなった。

2004年からの妻・直子のスペースシャトルのミッションスペシャリスト資格取得訓練のために、会社を退職し主夫として娘を連れて渡米した[4] [5]

2010年 - スペースシャトルディスカバリー号によるSTS-131ミッションを宇宙飛行士の家族として支えた[2]

2011年10月、妻・直子がアメリカ合衆国で次女を出産した[16]

2012年2月、離婚届けを提出し、山崎直子と離婚したと報じられた[17]

2012年7月、ヴァージンギャラクティック社の宇宙船に搭乗する契約を締結。その後も民間各社の宇宙船に搭乗する契約を締結。無重力飛行士としての事業を開始。

現在は、自らの宇宙飛行の準備を行う傍ら、民間宇宙ビジネスの創出に尽力中。

出典・関連項目

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  1. ^ a b c d e f 花山亘 (2007年6月). "社長たちの人生劇場株式会社アストラックス 山崎大地(やまざき・たいち)さん". 常陽新聞. 2010年4月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m "ASTRAXホームページ" (2013年6月). 2013年6月1日閲覧。
  3. ^ a b c "山崎大地 ×ばつ 西川りゅうじん 宇宙対談(前編)". あざみ野STYLE. 2012年12月5日閲覧。
  4. ^ a b c "女性飛行士、家族で目指す宇宙". 三菱電機 (2005年8月). 2010年4月8日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g "「ジェネ的No.1イクメン人物伝」山崎大地さん". ジェネリーノ (2011年3月19日). 2012年12月5日閲覧。
  6. ^ a b c d "TAICHI YAMAZAKI Official Webpage/山崎大地オフィシャルサイト". 2014年1月13日閲覧。
  7. ^ "Farewell, Rocketplane" (英語). NewSpace Journal (2010年7月7日). 2018年7月29日閲覧。
  8. ^ "2007年、日本の民間人が"宇宙ビジネスマン"として宇宙へ飛び立つ". MYCOMジャーナル (2006年6月14日). 2010年4月8日閲覧。
  9. ^ "「平成18年度ヤングベンチャービジネスプランコンペいばらき」入賞者等決定!!". 茨城県中小企業振興公社 (2007年2月). 2010年4月8日閲覧。
  10. ^ "歴代受賞者及び受賞プラン一覧". 茨城県中小企業振興公社 (2007年2月). 2010年4月8日閲覧。
  11. ^ "XCOR Aerospace Files for Bankruptcy" (英語). Space.com (2017年11月15日). 2018年7月29日閲覧。
  12. ^ a b "「ジェネ的No.1イクメン人物伝」 山崎大地さんVOL.2". ジェネリーノ (2011年4月3日). 2012年12月5日閲覧。
  13. ^ "「ジェネ的No.1イクメン人物伝」 山崎大地さんVOL.4". ジェネリーノ (2011年6月24日). 2012年12月5日閲覧。
  14. ^ "「ジェネ的No.1イクメン人物伝」 山崎大地さん最終回". ジェネリーノ (2011年7月11日). 2012年12月5日閲覧。
  15. ^ 山崎大地「本人と家庭にかかる精神的負担 宇宙飛行士を支えるということ」『週刊ダイヤモンド』第98巻25号 通巻4334号、ダイヤモンド社、2010年6月12日、pp. 65。 
  16. ^ 「米で次女出産 元宇宙飛行士の山崎直子さん(40)」 『日本経済新聞』 平成23年10月26日夕刊社会面
  17. ^ 山崎直子さんの夫 「離婚」つぶやき削除される (1/2) AERA dot. (アエラドット) 2012年2月15日

著書・関連書籍

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  • 『宇宙主夫日記 妻と娘と夢を追いかけて!』(山崎大地、小学館)
  • 『宇宙家族ヤマザキ 妻から届いた宇宙からのラブレター』(山崎大地、祥伝社)
  • 「ロケット王子〜プロローグ〜」(監修、ASTRAX Books )
  • 「宇宙時代の子育て 母さん佳く愛して〜セルアファのすすめ〜」(保坂淳江著、山崎大地監修)
  • MNI PLUS Vol.22 - 30 (2008年3月-2009年7月)まで連載(グラフィス)
  • 時計ビギン「母から娘へ引き継ぐ宇宙時計」(世界文化社)
  • 「人生をやめたいと思ったとき読む本」(澤登和夫、東洋経済新報社)

出演番組

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外部リンク

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