小野寺直助
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小野寺 直助(おのでら なおすけ、1883年 5月31日 - 1968年 11月3日)は、日本の医学者、内科医。岩手県 胆沢郡 前沢町(現・奥州市)出身[1] [2] 。小野寺式圧診法の考案者[2] 。
略歴
[編集 ]旧制盛岡中学校 [1] 、第一高等学校 [1] を経て、京都帝国大学福岡医科大学(九州大学医学部の前身)卒業[1] 。30歳の若さで九州帝国大学教授に就任[1] 。消化器研究に尽力し、特に胃運動曲線照射法で恩賜金記念賞を授与される[1] 。「胃運動曲線に関する研究」「圧診法に関する研究」は医学会不滅の業績とされる[1] 。
1943年(昭和18年)に退官後は、満州国にわたり新京特別市立第一病院長に就任。 1945年(昭和20年)8月19日、第二次世界大戦終結後の混乱の中、新たに発足した新京日本人会の会長に就任。日本人避難民の救済にあたる[3] 。
1963年(昭和38年)文化功労者 [1] 。 1964年(昭和39年)勲二等旭日重光章。1968年(昭和43年)11月3日死去。85歳没[1] 。
久留米医科大学初代学長、九州帝国大学医学部長[1] 、同温泉治療研究所長[1] 、日本内科学会会頭[1] 、日本学士院会員[1] などの要職を歴任した。
栄典
[編集 ]脚注
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関連項目
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