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小曽根喜一郎

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小曽根 喜一郎(小曾根、おぞね きいちろう、1856年 8月30日(安政3年8月1日 [1] [2] ) - 1937年(昭和12年)3月31日 [3] )は、明治から昭和時代初期の実業家社会運動家。旧姓は松本、幼名は直太郎[1] [3] [注 1]

経歴

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摂津国 八部郡(現兵庫県 神戸市)出身[3] 松本庄太郎の長男、松本平兵衛の甥として生まれ、1877年(明治10年)3月、先代小曽根喜一郎の養子となり、1884年(明治17年)4月、先代の没後に家督を相続する[1] [4] [5] 。小曽根家は八部郡に土着し、農業やのちに酒樽製造業、土地売買を営み巨利を得た家系[4] 。ほか、雑貨商も営み、1915年(大正4年)時点で直接国税11,000円余を納め、兵庫県多額納税者に列した[1]

1896年(明治29年)川西清兵衛らと日本毛織を創立[3] 。また、同年大倉喜八郎とともに湊川改修会社を設立し[6] 、翌年より改修工事を進め、新開地を拓いた[3] 。ほか、日本羽二重社長、帝国水産取締役会長、阪神電気鉄道九州電気軌道、東洋捕鯨、大安生命保険各取締役、神戸海上運送火災保険、兵庫電気軌道富士身延鉄道各監査役[1] 、第一ラミー紡績代表取締役、神戸商業銀行、長崎電気軌道、九州土地、神戸生糸、京都火災保険、阪神土地、日本酒造、大日本蚕糸紡績各取締役、富国徴兵保険監査役[4] など多数の会社重役を歴任した。

さらに社会運動家として神戸報国義会を運営し、育児院、施療院などを運営し公共福祉の発展に尽瘁した[1] [3]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第8版』では幼名真太郎。

出典

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参考文献

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外部リンク

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