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寿庵堰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(寿庵堰用水から転送)

寿庵堰(じゅあんぜき)は、岩手県 胆沢川の上流部に設けられた円筒分水工を水源した堰である。この寿庵堰を水源とした寿庵堰用水(じゅあんぜきようすい)は胆沢平野を流れる農業用水である[1]

伊達政宗の家臣で福原(現岩手県 奥州市水沢福原)の館主であったキリシタン 後藤寿庵が灌漑目的に開削した用水である。後藤寿庵の偉業を称えてその名を付け寿庵堰と名付けられた。寿庵はラテン語でJohannes(ヨハネ)、日本で唯一のクリスチャンネームの用水堰である。

なお、用水を管理する胆沢平野土地改良区は後藤寿安寿安堰用水、国土地理院 地図寿安堰と表記しているが、本項は「寿庵」で統一し表記する。

2006年(平成18年)に「胆沢平野」として、疎水百選に選定された。

概要

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岩手県南西部を東流する胆沢平野を開拓するため、後藤寿庵が造った灌漑用水路。

1617年(元和3年)仙台藩の命で後藤寿庵が胆沢川から水を引き開拓した。しかし、江戸幕府のキリシタン禁制に触れ、後藤寿庵は工事半ばに福原の地を出奔した、胆沢川上流の金入道から大違までの1,700m余りを開削して工事は中断された。後藤寿庵の追放後、関村(現・奥州市前沢)の肝煎・千田左馬父子と目呂木村(現・奥州市前沢)の遠藤大学が工事を引き継ぎ、1631年(寛永8年)に完成した。この水路は現在の寿庵上堰と呼ばれ、全長は20kmである。

その後、寿庵中堰、寿庵下堰も作られ、受益面積は約8600haにのぼる。

その後、補強、修理を重ね、現在も茂井羅 (しげいら) 堰、穴山堰と共に胆沢平野一帯の穀倉地帯を潤している。

円筒分水工

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元は、寿庵堰と茂井羅堰は胆沢川から直接取水しており、取水口が近いため血を流す水争いが有った。両堰の農業用水を公平に配分するために円筒分水工が設けられた。石淵ダムの建設に伴い、この貯留水の有効利用のため実施された国営胆沢川農業水利事業(1951年(昭和21年)〜1964年(昭和28年))の一環として1957年(昭和32年)度に施工した。 老朽化のため国営胆沢平野農業水利事業で1989年(平成元年)度〜1995年(平成7年)度に改修され、農業用施設の円筒分水工としては日本一の規模である[2]

関係施置

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参考文献

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脚注

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  1. ^ "ゆたかな大地は水にいどみ 手にした宝物". www.thr.mlit.go.jp. 2022年10月19日閲覧。
  2. ^ "円筒分水工の歴史". www.isawa-heiya.or.jp. 2022年10月21日閲覧。

外部リンク

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