宮原二郎
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宮原 二郎(みやはら じろう、1858年 8月15日(安政5年7月7日) - 1918年 1月15日)は、日本の海軍軍人、華族。海軍機関中将 正四位 勲二等 功三級 男爵 工学博士。宮原式水管缶の発明者。
経歴
[編集 ]宮原成叔の長男として生まれ、幕臣宮原木石の養子となる。静岡学問所を経て、1872年、海軍兵学寮予科に入学。その後、イギリスに留学し、グリニッチ海軍大学校3年課程で学んだ。1883年3月、中機関士任官。主船局機関課、イギリス駐在、艦政局機関課長、兼帝国大学工科大学教授、横須賀鎮守府造船部計画科長、造船造兵監督官(イギリス出張)などを歴任し、1896年4月、造船大監に進級。
海軍省軍務局造船課課僚などを経て、1900年5月、機関総監に進級。艦政本部第4部長を勤め、1906年11月、海軍機関中将となり、1909年8月、予備役に編入された。
1899年3月、工学博士号を取得。1907年9月、男爵の爵位を授爵され、華族となる。1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員となり[1] 、死去するまで在任した[2] 。
栄典
[編集 ]- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章 [3]
- 1901年(明治34年)12月27日 - 勲二等瑞宝章 [4]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功三級 金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章 [5]
- 1907年(明治40年)9月21日 - 男爵 [6]
- 1909年(明治42年)9月20日 - 正四位 [7]
親族
[編集 ]脚註
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 宮原(二郎)家初代 1907年 - 1918年 |
次代 宮原旭 |