コンテンツにスキップ
Wikipedia

宗像氏男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この項目では、戦国時代の宗像大社79代大宮司について説明しています。平安時代宗像大社の2代宗像大宮司については「宗形氏男」を、奈良時代の宗像大社神主については「宗像大社神主の一覧」をご覧ください。
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"宗像氏男" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2024年2月)
 
宗像氏男/黒川隆像
時代 戦国時代
生誕 永正9年(1512年)
死没 天文20年9月1日(1551年 9月30日)
改名 氏男→黒川隆像
主君 大内義隆
氏族 宗像氏
父母 父:宗像氏続 [注釈 1] または宗像氏佐
養父:宗像正氏(黒川隆尚) [注釈 2]
正室:宗像正氏娘・菊姫
国丸(氏隆)
テンプレートを表示

宗像 氏男(むなかた うじお)は、戦国時代宗像大社79代大宮司。

略歴

[編集 ]

永正9年(1512年)、宗像氏続または宗像氏佐の子として誕生。氏続の兄・宗像正氏(黒川隆尚)の養子となる。その後、大内義隆に仕え、偏諱を受け黒川 隆像(くろかわ たかかた)と改名する。

天文20年(1551年)9月1日、大寧寺の変で主君・義隆が自害したのに伴い殉死する。

氏雄と表記された文書も残る。

脚注

[編集 ]

注釈

[編集 ]
  1. ^ 氏佐の子で氏続の弟とする説もある。
  2. ^ 伯父・氏続の兄。

出典

[編集 ]


関連項目

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /